lundi 23 février 2015

その 「出来事」 はクラススイッチであった


半年前、銀行の担当者が辞めるとの挨拶メールが届いた

そして先日、新任の方から相談があるとの電話が入り、本日のランデブーとなった

前任者はどうしたのか訊いてみたところ、アブダビに行ったとのこと

元気のよい女性だったが、なぜか嬉しくなる

本日は1時間ほど話を聞き、「こと」を終えた

新しい方も元気がよく、親身になってくれているようで気持ちが良い


さて、一つの 「出来事」 に遭遇した時、その意味を考える

あるいは、そこに意味を与えると言った方が分かりやすいかもしれない

これは長い間にわたしの習い性になった運動だ

その背後には、この世界の出来事はすべて決められているという認識がどこかにあるからだ

過去についての恨み言で留まったり、その予防策を考えるというような方向ではない

起こったことはすべて最高のことだと認めるものでもない 

最高であろうが最低であろうが、そのことは決まっていたのだから仕方がない

その前には戻れないからである

その上で、なぜそう決まっていたのかを考える方が生産的だろうと考えるのである

そこに新しい道を見い出す可能性があり、それしかないからだ

「出来事」 は本来的に無機質なもので、そのままでは何の性格もない

そこにどのような意味を与えるのかにより性格が現れる

それが将来を決めることになる


正月の「出来事」以降の内的変化が、より鮮明に見えるようになってきた

免疫を担う抗体には、定常部の特徴から IgM、IgG、IgA、IgD、IgE などのクラスがある

それぞれ分布や機能が異なっている

抗原に対する特異性(可変部の構造)は変わらないが、定常部が変わるという現象がある

クラス変換(クラススイッチ)と呼ばれる

 生体を最適状態にするため、適宜機能の異なるクラスに形を変える

 その時起こる抗体遺伝子の変化が、ここに図解されている

この図は IgM から IgG1 というサブクラスへの変換が描かれている

その時、IgM、IgD、IgG3 の遺伝子がリング状に切り取られ、IgG1と可変部遺伝子とが繋がる


正月の「出来事」では、ここ数年の記憶が失われた

その記憶が IgM、IgD、IgG3 に当たり、そこがループ状に切り取られる像と完全に重なったのである

つまり、クラススイッチを身を持って経験していたとも言える

抗体を見れば明らかなように、それは元からある材料を使った創造である

抗体に意識はないはずなので分からないだろうが、わたしは意識の変化に気付いた

ここ数年、学生としての生活は遠くに去り、やや弛んだ生活を送っていた

今回そこの部分が切り取られ、数年前の学生気分が残っていた状態と直に繋がることになった

その結果、少しだけ新鮮な気持ちで「こと」に当たることができそうな感覚が生まれている

それは、おそらく良いことではないのか

正月の「出来事」なしに、ここに辿り着くことはできたのだろうか

おそらく難しかったのではないだろうか

そして、クラススイッチのように、この「出来事」が創造へと導くのか

こればかりは、今は分からない





samedi 21 février 2015

連載エッセイ第25回 「2013年、パリ、ロスコフ、ニューヨークで医学の哲学を考え始める」


雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第25回エッセイを紹介いたします

 
« Un regard de Paris sur ce monde »

 
医学のあゆみ (2014.2.8) 248 (6): 491-495, 2014 


 ご一読、ご批判いただければ幸いです







dimanche 15 février 2015

初心を読む


読書子に寄す

――岩波文庫発刊に際して―― 

岩 波 茂 雄

真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。このときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以 前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資 料、生活批判の原理を提供せんと欲する。この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択するこ とができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せ しめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。    
昭和二年七月


岩波新書を刊行するに際して
岩 波 茂 雄
 天地の義を輔相(ほそう)して人類に平和を與へ王道樂土を建設することは東洋精神の神髄にして、東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられたる世界的義務である。日支事變の目標も亦茲(またここ)にあらねばならぬ。世界は白人の跳梁に委すべく神によって造られたるものにあらざると共に、日本の行動も亦飽くまで公明正大、東洋道義の精神に則らざるべからず。東海の君子國は白人に道義の尊きを誨(おし)ふべきで、斷じて彼らが世界を蹂躙せし暴虐なる跡を學ぶべきでない。
 今や世界混亂、列強競争の中に立つて日本國民は果して此の大任を完うする用意ありや。 吾人は社會の實情を審(つまびら)かにせざるも現下政黨は健在なりや、官僚は獨善の傾きなきか、財界は奉公の精神に缺くるところなきか、また賴みとする武人に高邁なる卓見と一絲亂れざる統制ありや。思想に生きて社會の先覺たるべき學徒が眞理を慕うこと果して鹿の渓水を慕うが如きものありや。吾人は非常時に於ける擧國一致國民總動員の現状に少からぬ不安を抱く者である。
 明治維新五ヶ條の御誓文は啻(ただ)に開國の指標たるに止らず、興隆日本の國是として永遠に輝く理念である。之を遵奉してこそ國體の明徴も八紘一宇の理想も完きを得るのである。然るに現今の情勢は如何。批判的精神良心的行動に乏しく、やゝともすれば世に阿り權勢に媚びる風なきか。偏狭なる思想を以て進歩的なる忠誠の士を排し、國策の線に沿はざるとなして言論の統制に民意の暢達を妨ぐる嫌ひなきか。これ實に我國文化の昂揚に徴力を盡さんとする吾人の竊(ひそか)に憂ふる所である。吾人は欧米功利の風潮を排して東洋道義の精神を高調する點に於て決して人後に落つる者でないが、驕慢なる態度を以て徒らに欧米の文物を排撃して忠君愛國となす者の如き徒に與することは出來ない。近代文化の歐米に學ぶべきものは寸尺と雖も謙虚なる態度を以て之を學び、皇國の發展に資する心こそ大和魂の本質であり、日本精神の骨髄であると信ずる者である。
 吾人は明治に生れ、明治に育ち來れる者である。今、空前の事變に際會し、世の風潮を顧み、新たに明治時代を追慕し、維新の志士の風格を囘想するの情切なるものがある。皇軍が今日威武を四海に輝かすことかくの如くなるを見るにつけても、武力日本と相竝んで文化日本を世界に躍進せしむべく努力せねばならぬことを痛感する。これ文化に關與する者の銃後の責務であり、戦線に身命を曝す將兵の志に報ゆる所以でもある。吾人市井の一町人に過ぎずと雖も、文化建設の一兵卒として涓滴の誠を致して君恩の萬一に報いんことを念願とする。
 曩(さき)に學術振興のため岩波講座岩波全書を企図したるが、今茲に現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。これ一に御警文の遺訓を體して、島國的根性より我が同胞を解放し、優秀なる我が民族性にあらゆる発展の機會を與へ、躍進日本の要求する新知識を提供し、岩波文庫の古典的知識と相侯つて大國民としての教養に遺憾なきを期せんとするに外ならない。古今を貫く原理東西に通ずる道念によつてのみ東洋民族の先覺者としての大使命は果されるであらう。岩波新書を刊行するに際し茲に所懐の一端を述ぶ。  
昭和十三年十月靖国神社大祭の日


岩波新書創刊五十年、新版の発足に際して 
 岩波新書は、一九三八年一一月に創刊された。その前年、日本軍部は日中戦争の全面化を強行し、国際社会の指弾を招いた。しかし、アジアに覇を求めた日本は、言論思想の統制をきびしくし、世界大戦への道を歩み始めていた。出版を通して学術と社会に貢献・尽力することを終始希(こいねが)いつづけた岩波書店創業者は、この時流に抗して、岩波新書を創刊した。
 創刊の辞は、道義の精神に則らない日本の行動を深憂し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発であると謳っている。このような創刊の意は、戦時下においても、時勢に迎合しない豊かな文化的教養の書を刊行し 続けることによって、多数の読者に迎えられた。戦争は惨澹たる内外の犠牲を伴って終わり、戦時下に一時休刊の止むなきにいたった岩波新書も、一九四九年、装いを赤版から青版に転じて、刊行を開始した。新しい社会を形成する気運の中で、自立的精神の糧を提供することを願っての再出発であった。赤版は一〇一 点、青版は一千点の刊行を数えた。
 一九七七年、岩波新書は、青版から黄版へ再び装いを改めた。右の成果の上に、より一層の課題をこの叢書に課し、閉塞を排し、時代の精神を拓こうとする人々の要請に応えたいとする新たな意欲によるものであった。即ち、時代の様相は戦争直後とは全く一変し、国際的にも国内的にも大きな発展を遂げながらも、同時に混迷の度を深めて転換の時代を迎えたことを伝え、科学技術の発展価値観の多元化文明の意味が根本的に問い直される状況にあることを示してい た。
  その根源的な問は、今日に及んで、いっそう深刻である。圧倒的な人々の希いと真摯な努力にもかかわらず、地球社会は核時代の恐怖から開放されず、各地に戦火は止まず、飢えと貧窮は放置され、差別は克服されず、人権侵害はつづけられている。科学技術の発展は新しい大きな可能性を生み、一方では、人間の良心の動揺につながろうとする側面を持っている。溢れる情報に拠って、かえって人々の現実認識は混乱に陥り、ユートピアを喪いはじめている。わが国にあっては、いまなおアジア民衆の信を得ないばかりか、近年にいたって再び、独善偏狭に傾く怖れのあることを否定できない。
  豊かにして勁い人間性に基づく文化の創出こそは、岩波新書が、その歩んできた同時代の現実にあって一貫して希い、目標としてきたところである。今日、その希いは最も切実である。岩波新書が創刊五十年・刊行点数一千五百点という画期を迎えて、三たび装いを改めたのは、この切実な希いと、新世紀につながる時代に対応したいとするわれわれの自覚とによるものである。次代を担う若い世代の人々、現代社会に生きる男性・女性の読者、また創刊五十年の歴史をともに歩んできた経験豊かな年齢層の人々に、この叢書が一層の広がりをもって迎えられることを願って、初心に復し、飛躍を願いたいと思う。読者の皆様の御支持をねがってやまない。 
(一九八八年一月)


岩波現代文庫の発足に際して
 新しい世紀が目前に迫っている。しかし二〇世紀は、戦争、貧困、差別と抑圧、民族間の憎悪等に対して本質的な解決策を見いだすことができなかったばかりか、文明の名による自然破壊は人類の存続を脅かすまでに拡大した。一方、第二次大戦後より半世紀余の間、ひたすら追い求めてきた物質的豊かさが必ずしも真の幸福に直結せず、むしろ社会のありかたを歪め、人間精神の荒廃をもたらすという逆説を、われわれは人類史上はじめて痛切に体験した。
 それゆえ先人たちが第二次世界大戦後の諸問題といかに取り組み、思考し、解決を模索したかの軌跡を読みとくことは、今日の緊急の課題であるにとどまらず、将来にわたって必須の知的営為となるはずである。幸いわれわれの前には、この時代の様ざまな葛藤から生まれた、人文、社会、自然諸科学をはじめ、文学作品、ヒューマン・ドキュメントにいたる広範な分野のすぐれた成果の蓄積が存在する。
 岩波現代文庫は、これらの学問的、文芸的な達成を、日本人の思索に切実な影響を与えた諸外国の著作とともに、厳選して収録し、時代に手渡していこうという目的をもって発刊される。いまや、次々に生起する大小の悲喜劇に対してわれわれは傍観者であることは許されない。一人ひとりが生活と思想を再構築すべき時である。
 岩波現代文庫は、戦後日本人の知的自叙伝ともいうべき書物群であり、現状に甘んずることなく困難な事態に正対して、持続的に思考し、未来を拓こうとする同時代人の糧となるであろう。
(二〇〇〇年一月)



 
中公新書刊行の言葉                          一九六二年一一月
いまからちょうど五世紀まえ、グーテンベルクが近代印刷術を発明したとき、書物の大量生産は潜在的可能性を獲得し、いまからちょうと一世紀まえ、世界のおもな文明国で義務教育制度が採用されたとき、書物の大量需要の潜在性が形成された。この二つの潜在性がはげしく現実化したのが現代である。
いまや、書物によって視野を拡大し、変わりゆく世界に豊かに対応しようとする強い欲求を私たちは抑えることができない。この要求にこたえる義務を、今日の書物は背負っている。だが、その義務は、たんに専門的知識の通俗化をはかることによって果たされるものでもなく、通俗的好奇心にうったえて、いたずらに発行部数の巨大さを誇ることによって果たされるものでもない。現代を真摯に生きようとする読者に、真に知るに値する知識だけを選び出して提供すること、これが中公新書の最大の目標である。
私たちは、知識として錯覚しているものによってしばしば動かされ、裏切られる。私たちは、作為によってあたえられた知識のうえに生きることがあまりに多く、ゆるぎない事実を通して思索することがあまりにすくない。中公新書が、その一貫した特色として自らに課するものは、この事実のみの持つ無条件の説得力を発揮させることである。現代にあらたな意味を投げかけるべく待機している過去の歴史的事実もまた、中公新書によって数多く発掘されるであろう。
 中公新書は、現代を自らの眼で見つめようとする、逞しい知的な読者の活力となることを欲している。


 「終焉」 からの始まり

   ―― 『中公クラシックス』 刊行にあたって

 二十一世紀は、いくつかのめざましい 「終焉」 とともに始まった。工業化が国家の最大の標語であった時代が終り、イデオロギーの対立が人びとの考え方を枠づけていた世紀が去った。歴史の 「進歩」 を謳歌し、「近代」 を人類史のなかで特権的な地位に置いてきた思想風潮が、過去のものとなった。
 人びとの思考は百年の呪縛から解放されたが、そのあとに得たものは必ずしも自由ではなかった。固定観念の崩壊のあとには価値観の動揺が広がり、ものごとの意味考えようとする気力に衰えがめだつ。おりから社会は爆発的な情報の氾濫に洗われ、人びとは視野を拡散させ、その日暮らしの狂騒に追われている。株価から醜聞の報道まで、刺激的だが移ろいやすい 「情報」 に埋没している。応接に疲れた現代人はそれらを脈絡づけ体系化をめざす 「知識」 の作業を怠りがちになろうとしている。
 だが皮肉なことに、ものごとの意味づけと新しい価値観の構築kが、今ほど強く人類に迫られている時代も稀だといえる。自由と平等の関係、愛と家族の姿、教育や職業の理想、科学技術のひき起こす倫理の問題など、文明の森羅万象が歴史的な考えなおし要求している。今をどう生きるかを知るために、あらためて問題を脈絡づけ思考の透視図を手づくりにすることが焦眉の急なのである。
 ふり返ればすべての古典は混迷の時代に、それぞれの時代の価値観の考えなおしとして創造された。それは現代人に思索の模範を授けるだけでなく、かつて同様の混迷に苦しみ、それに耐えた強靭な心の先例として勇気を与えるだろう。そして幸い進歩思想の傲慢さを捨てた現代人は、すべての古典に寛く開かれた感受性を用意しているはずなのである。
(二〇〇一年四月)


 「講談社学術文庫」の刊行に当たって     
 これは、学術をポケットに入れることをモットーとして生まれた文庫である。学術は少年の心を養い、成年の心を満たす。その学術がポケットにはいる形で、万人のものになることは、生涯教育をうたう現代の理想である。
 こうした考え方は、学術を巨大な城のように見る世間の常識に反するかもしれない。また、一部の人たちからは、学術の権威をおとすものと非難されるかもしれない。しかし、それはいずれも学術の新しい在り方を解しないものといわざるをえない。
 学術は、まず魔術への挑戦から始まった。やがて、いわゆる常識をつぎつぎに改めていった。学術の権威は、幾百年、幾千年にわたる、苦しい戦いの成果である。こうしてきずきあげられた城が、一見して近づきがたいものにうつるのは、そのためである。しかし、学術の権威を、その形の上だけで判断してはならない。その生成のあとをかえりみれば、その根は常に人々の生活の中にあった。学術が大きな力たりうるのはそのためであって、生活をはなれた学術は、どこにもない。
 開かれた社会といわれる現代にとって、これはまったく自明である。生活と学術との間に、もし距離があるとすれば、何をおいてもこれを埋めねばならない。もしこの距離が形の上の迷信からきているとすれば、その迷信をうち破らねばならぬ。
 学術文庫は、内外の迷信を打破し、学術のために新しい天地をひらく意図をもって生まれた。文庫という小さい形と、学術という壮大な城とが、完全に両立するためには、なおいくらかの時を必要とするであろう。しかし、学術をポケットにした社会が、人間の生活にとってより豊かな社会であることは、たしかである。そうした社会の実現のために、文庫の世界に新しいジャンルを加えることができれば幸いである。     
  一九七六年六月                      野 間 省 一




 

mardi 10 février 2015

イスラムへの最初の一歩


最近の出来事の影響かもしれない

イスラムの世界を知りたくなった

完全に抜けていた部分になる

これまでイスラムの美術などには特別の意識なく触れていたはずである

今回はその宗教への切っ掛けとして、アメリカPBSのドキュメンタリーを観ることにした

まずイスラム教の開祖ムハンマドについて

なぜ彼が力を持つようになり、その教えが今日の広がりを持つに至ったのか

それが最初の疑問になっている


Islam: Empire of Faith. Part 1: Prophet Muhammad and rise of Islam


イスラムの世界の続きを観る

哲学や科学や医学の領域でイスラムの果たした役割は無視できない

興味を惹く人物も何人かいる

その中に入るのは、まだ先になりそうである

その時まで映像で受容しておきたい


Islam: Empire of Faith. Part 2: The Awakening


このビデオで歴史の重要な分岐点を知った

当時、パレスチナを支配していたのは、エジプトのカリフアル・ハーキム(985-1021)だった

それまでの200年の間、エルサレムではキリスト教はイスラム教から敬意を払われ、共存していた

 しかし、精神に異常をきたしていたと見做されるハーキムがキリスト教の聖墳墓教会を破壊する

 1009年のことだった

後に後継者が再建するが、対立を埋めることはできなかった

この出来事が十字軍の誘因になったという

それ以来、血で塗り固められた壮絶な歴史が続く

人間とはそこまでする生き物であることの証左である

そういう歴史が人々の記憶の中に深く眠っていて、いつでも噴き出し得ること

そのような状態を想像することが、この世界の理解には不可欠のようだ


それにしても、大変な人物が指導者になったものである

この出来事が1000年以上に亘って不安定で危険な世界を齎したことになるのだろうか

そんなに単純なお話とは思われないのだが、わたしの頭の中は今回初めてすっきりした

このお話などは常識なのだろうが、知らなかったのだから致し方ない





jeudi 5 février 2015

映画 "Le Sel de la Terre" を観る


図書館の帰り、『地の塩』 の文字が目に入る

ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders, 1945- )監督の映画だ

Le sel de la terre (2014)

早速、観ることにした

写真家セバスチャン・サルガド(Sebastião Salgado, 1944- )の世界を描いている

サルガドさんの息子ジュリアーノ・リベイロとヴェンダースさんの合作である









副題が "Un voyage avec Sebastião Salgado" となっていたように思う

サルガドさんの人生の旅とこの世界における旅の記録

父親によれば、息子はいつも旅の空であったという

とにかく、世界中を歩いている

その中から生まれたこれまでの作品を交えた映画であった


ものを観るということ

この世界を取り巻く自然

いつものように空と雲に目が行く

そして、人間、特に苦しみと悲惨の中に在る人間

実は、死が生と隣り合わせている世界の方が大勢を占めているのではないか

そんな思いも巡る


素晴らしいイメージが現れ、その時々の考えが語られていた

それらを纏めて一つの考えにするというのではない

統合的に哲学し、一つのメッセージを出そうというのではない

部分に執着して、その部分を思想にしようとでもするかのような視線であった


最後に、ヴェンダース監督のインタビューを









mercredi 4 février 2015

トマ・ピケティ氏の言葉から


来日中のトマ・ピケティ(Thomas Piketty, 1971- )氏が注目を集めているという

経済の領域のお話なので、全く興味がない

それではダメですよ、というピケティ氏の顔が見えるようだ

どんな方なのか、こちらのビデオで観たことはある

例えば、アラン・バディウ(Alain Badiou, 1937- )さんと一緒のものなど


今回、何気に日本でのビデオに目を通してみた

その中で、一つだけ入ってきた表現がある

それは、"démocratisation de l'économie"、"democratization of economy" だ

経済学の知識を広く普及するという意味になるのだろう

その心は、意思決定を権力や一握りの専門家に任せるのではなく、民衆に移すため

民主主義下にあるわれわれは専門の知識を知り、自らで判断しなければならないことになる

逆に言うと、専門家は持てる知識を一般に広めなければならないということでもある

専門家とは、そのためにお金をもらって生活している存在であると捉えられるからだ

そして、市民の判断を誤らせないためにも、専門家には 「知的誠実さ」 が求められるのである


自らに翻ってみると、経済に関しては昔から全くと言っていいほど関心がない

その意味で、市民失格になるのだろう

ただ、わたしが帰国の度に行っている営みでは、専門家としての市民の役割を果たしているとも言えそうだ

専門知を 「デモクラティゼ」 しようとしているように見えるからである

 「民主化」 と言うと、どこか知識を与えるという響きがある

しかし、「デモクラティゼ」 という音にすると、自分の中では 「共有する」 という響きが加わってくる

本来の意味合いとは違うのかもしれないが、新しい景色が見えてくるのである
 

外国語の響きにより、日本語では感じなかった言葉のイメージに広がりを持つことが増えている

それまで刺激されなかった部分が反応するからだろうか

外国語を学ぶ理由の一つが、こんなところにもありそうだ






dimanche 1 février 2015

雪のシャルトルから戻る


昨日は午前中が快晴で、午後から雲が出始め、夕方からは雨になった

昼、街に出て、数年前のメモを読み直す

この間に書いたものの芽がいくつも転がっている

それだけではなく、まだ手が付けられていないものも見つかった

そして、当時から焦点を絞ってはどうかと考えていた様子も分かる

しかし、それはできず、更なる拡散に向かって行った

ここで絞るのは勿体ないと考えたのだろう


 そこに新年の出来事が飛び込んできた

このことにより、ここ数年がループ状になり切り落とされた印象がある
 
その間の贅肉が取れ、学生としての気分が残っていた数年前と今が繋がったように感じるのである

そのため、若返ったような、緊張感が蘇ったような新鮮な感覚がある

実に不思議である


今朝は曇りから雨になったが、シャルトルを去る頃には雪に変わっていた

この冬初めて見るのではないだろうか

今回の滞在で一番寒い日に離れることになるのは幸いであった

駅に向かう途中、大聖堂に向かう2-30人の日本からの観光客に遭遇

皆さんがわたしに向かって、Bonjour ! と楽しげに声を掛けてきたのには驚いた