mercredi 29 février 2012

ピーター・メダワー卿の言葉、あるいは論文のいろいろな読まれ方



今日は久しぶりに科学論文を読む
離れていたためか、理解に時間がかかる
と同時に、読み方が変わってきているようだ
科学者であった時は、事実を追って読み進み、その内容を掴むのが第一義だった
それが今では、結果そのものの他に、使われている表現とその裏にある考え方を探るところに目が行っている
そのため、なかなか先に進まない

哲学的研究者であったピーター・メダワー卿(1915–1987)がこのようなことを書いていたことを思い出す

「論文はできるだけ広い読者対象を想定して書くべきです
あなたより優れた人が好奇心を満たすために専門外の雑誌を手にすることがあるかもしれません
そんな時に何が言いたいのか理解されなければ、折角の機会を逃すことになるからです」

内輪向けにしか書いていなかった若き日、科学の奥深さを感じたものである
今のわたしは、この言葉にある専門外の論文を手にしている好事家のようなものだろうか
著者より優れた人ではあり得ないが、、、

メダワー卿の言葉をこんな形で理解できるようになるとは・・・
巡り巡って予期せぬところに辿り着いたというこの感覚、嬉しいものである




mardi 28 février 2012

コンコルド周辺を散策



今日はパリ観光に出掛ける
街中に出て歩き始めると、そんな気分になる
ありがたい環境だ
コンコルド周辺をふらふらする
ついに花粉症かと思うくらいくしゃみが出る

リヴォリ通りの英語の本屋さん WHSmith に入る
家庭用本棚一つ程度の哲学セクションへ
いくつか興味を引くものがあった
同じ内容の本を2冊手に入れるところだった
アメリカとイギリスで本のサイズや装丁だけでなく、タイトルも変わっていたからである
今日は注意深さがあった

すぐに読みたくなり、カフェへ
デジュネの時間で混み出したためか、飲み物だけだと1時間ですよ、などと言われる
普通は飲み物だけの席が別にされていて問題ないはずなのだが、、、
街中のカフェは世知辛い
以前に取り上げたこの方のポスターが席の横にあり、覗くことにした

艾未未という人間 (2012-1-24)





残念ながら、会場の Jeu de Paume は混み合っていて、入る気分にならず
周辺に目をやると、これまで気付かなかった彫刻が石の上に何気なく置かれている









さらに散策を続ける
アメリカ大使館周辺の警戒は厳重だ
何かあるのかと聞くと、アメリカ大使館だ、との答え
その存在自体が出来事のようだ
建物の写真も駄目、デゾレ!と言われる
現世の風に向かって勇ましく進んでいるという風情がある
パリには似つかわしくない


2軒目のカフェに入り、デジュネと再びの読み
今日は休息日のようだ




Le bel costumé, 1973
Jean Dubuffet (1901-1985)



lundi 27 février 2012

モーリス・アンドレさん亡くなる



寝る前にパソコンを覗くと、このニュースが目に入ってきた

Décès du trompettiste classique Maurice André à l'âge de 78 ans

トロンペティストのモーリス・アンドレさん(1933-2012)が78歳で亡くなった

文化相のフレデリック・ミッテラン氏はコミュニケを発表

「『世紀のトロンぺティスト』はこの楽器をピアノやバイオリンと同じレベルまで持って行こうとしていました」

サルコジ大統領もこう続けた

「最も偉大なトロンぺティストは多くの家庭を空虚なものにするでしょう

彼のお蔭でクラシック音楽に初めて触れた家庭も稀ではないと想像されるからです」



トランペットに明け暮れていた学生時代には大変お世話になった

彼のレコードはほとんど持っていたのではないだろうか

成功したとは思えないジャズの試みまで


彼が出現してからトランペットのイメージが一変した

苦しみながらの演奏ではなく、滑舌がよく、楽器が体の一部になっているのだ

生の演奏をニューヨークと日本で聞くことができたのは幸いであった

前ブログ・前々ブログでも取り上げている

水漏れの後、モーリス・アンドレとアリソン・バルソムが現れ、そして大晦日に (2008-12-31)
モーリス・アンドレ MAURICE ANDRE, UN QUART DE SIECLE APRES (2006-4-13)



こういうニュースを聞くと、時が確実に流れていることを感じる

ヨーロッパの雰囲気溢れる演奏を味わいながら、彼の音楽とともにあった時間を思い出してみたい






















dimanche 26 février 2012

一昔前の鼎談、あるいは今もここにある問題





昨日の夜、どんよりした頭で一昔前の映像を観る

安藤忠雄(1941-)、瀬戸内寂聴(1922-)、中坊公平(1929-)の三氏による鼎談である

当時も観ていたのではないかと思うが、確かではない

出てくるお話は、この場で触れている話題とも繋がっている

運命を静かに受け入れ、抗おうとしない日本人の姿が出てくる

これも日本的な特質ではないかと思えるほど、これまでになく際立って見える

ここで語られている問題は何一つ解決されず、さらに生々しくなり今も身近にあることに驚く

まず頭の中を変え、そこから行動へ向かうこと

この流れがわれわれの体に馴染んでこなければ、何も変えることはできないのではないか

昨日に続き、そんなことを思う

その過程で重要になるのは、敢えて言葉にすれば、哲学的営みのはずである

囚われのない羽ばたくような思考がまず求められるはずである
























samedi 25 février 2012

「過去に向き合いましょう、それは進歩になるでしょう」


Tous comptes faits... ou presque (2012)
Stéphane Hessel
(né le 20 octobre 1917 à Berlin)



どんよりとした曇りの一日

頭の中もどんよりする

今年95歳を迎えるステファン・エッセルさんの最新刊をぱらぱらとやる

エドガール・モランさんとの共著 Le chemin de l'espérance (2011)で取り上げたことがある方だ

ステファン・エッセルさんもエドガール・モランさんも最後は 「詩的に生きること」 Vivre, c'est vivre poétiquement (2011-10-23)

最新刊の中に、今日のタイトルにした言葉を発見

« Tournons-nous vers le passé, ce sera un progrès. »

作曲家ジュゼッペ・ヴェルディさん(Giuseppe Verdi, 1813-1901)が1870年に発したものだ

過去に向き合うことなく、現在も理解できないし未来へ繋がることもない

言葉の上では誰でもわかっていると思われるこの考え

しかし、実践しなければ本当にわかるという感触は得られないだろう

そう感じる毎日である

これは、エッセルさんが前著 Indignez-vous ! (「怒れ!憤れ!」)に絡めて言っていることにも通じる

「怒った後に行動せよ、アンガジェせよ」

頭から体へ

この回路を活性化することが求められている

抽象を体現する必要があるのだ


93歳のエッセルさんが語っている姿が見つかった






vendredi 24 février 2012

春を迎える今日の空



いつもの出で立ちで街を歩く

いつもと違い汗が噴き出す

やっと春が来たようだ

みなさんの表情も跳ねている

研究所に向かう前にカフェに寄り、昨日の続きを読む

今日もよく入ってくる

研究所では論文を集める

読もうとするも眠くなる

春眠ではなく、いつもの疲れだろう

今日は早めに引き上げる


帰りのメトロに向かう時、頭上高く気持ちよさそうに行く機体を発見

その後、大きな弧を描いてくれた

嬉しい曲線に少しだけ眠気が覚める








jeudi 23 février 2012

お昼から 「ふらり」、そして谷口ジローさんの "Furari" に遭遇


Furari --- au gré du vent
Jirô Taniguchi
(né le 14 août 1947 à Tottori)


届いたばかりの19世紀半ばの医学哲学の本をカフェで読み始める

専門家を対象にした論文ではなく、一般の人に向けた本であると断っている

そのためか、非常に読みやすい

この時期には生気論が普通に語られていて興味深い



疲れたところでリブレリーへ

漫画セクションのところを通り抜けようとした時、呼ばれているような感覚が襲う

戻ってみると、棚には谷口ジローさんの本があった

これまで何度も触れているわたしと感覚がよく合う方だ

最初に目を通すと今日の気分にぴったりなのだ

予定を変更して、横にあったソファーへ

江戸ののんびりした景色の中、ふらりと歩き回っている主人公

距離を測るため、歩数を数えながら

これはまさに自分の姿ではないか、と思いながら読み進む

江戸人の生活がすぐ横に浮かび上がる

境界のない世界が現れる

人間と動物、人間と自然が一体になっている

昨日の映画とも繋がっているようだ





一茶さん (1763-1828)が出てくる

自由や生き方を問う会話が交わされる

声高にではなく、周りの空気と一体になっているかのような静かさの中で

ここに日本的なるものがあるのかもしれない





今ではフランスに特徴的ではないかと思うようになっている漫画セクションのこの景色

今日はその中に溶け込むという日本では考えられない時間となった




mercredi 22 février 2012

映画 「戦火の馬」 を観る War Horse (Cheval de guerre)



久し振りに朝焼けを拝むことができた

立ち昇る煙が気持ちを穏やかにしてくれる


メールボックスのある orange.fr のページに行く

モナコのカロリーヌさん息子さんがマンハッタンのナイトクラブで争いに巻きまれ入院

その下に、今日からスピールバーグ監督の新作 War Horse (Cheval de guerre) が始まるとのニュースあり

アメリカでは去年のクリスマスに合わせて公開されたようだ

フランスとの遭遇後に進行した感受性の変化のためか、予告編を観ると面白そうである

これならば感じることができるのではないか、という予感がある

その予感が正しいかどうか、近いうちに確かめてみたい

日本では 「戦火の馬」 となり、3月2日に公開とのこと










一日の終わりに、この映画を観る機会が巡ってきた

人間と動物との間にあるかもしれない境が消えるような、全身が反応する映画だった


細かく分けるのではなく、全体として捉える

そもそも分割してものを観ようとする人は、神経症の気があるとまで言った心理学者がいた

細部の原理に親しんでしまうと、細部が纏まって作っている全体が見えなくなる可能性がある

その硬直を解きほぐし、心を白く柔らかくして観ると、見えてくるものがあるだろう

そうするとこの映画も楽しめる


もう一つの軸はもちろん戦争である

"Saving Private Ryan" (「プライベート・ライアン」) ほどではないが、戦闘シーンはしっかり描いている

黒澤映画を思わせる大掛かりなシーンもある


以前では考えられないほど、心によく入ってくる映画だった



mardi 21 février 2012

今そこにある問題



昨日、今日と少し寒いながらよい天気に恵まれた

昨日は午後から久し振りに BnF へ

前日の疲れのためか、眠気を堪えての時間となった

今日も午後から近くのカフェへ

はしごをして読む

二軒目ではお客さん同士が激しい口論を始めた

なかなか終わらないので、外に出て歩く

そういえば、カフェに入った時、今日はマルディグラなので何かお一つ、と聞いていた

それで盛り上がったのかもしれない


夕方、持参したパソコンの中にある古いファイルを読む

なぜかアパルトマンでは読む気にならないものだ

場所を変えて・・というやつだろう

中を開けると宝石箱とは言わないが、結構な品が入っていて驚く

もう5年もこんなことをやっているのである

何か入っていないと困るというのが正直なところだ

あとはどうやってそれらを繋げていくかという大問題が残っている




lundi 20 février 2012

生きるとは場所を変えて考えること





ルソーさんの言葉に刺激されたのか、昨日は寒風をついてたっぷり歩く

途中に入ったリブレリーで Pensons ailleurs というタイトルに惹かれて手に入れる

モンテーニュさんの考えが出てくる

「生きていることを感じる幸せ、生きるとは動くこと

門を通り、橋を渡り、フロンティアを超え、遠くに旅立ち、他の場所で考える」

旅を愛したモンテーニュさんに相応しいお考えだ


最初の一文、昨日のルソーさんと響き合う

しばらくすると、この本の雰囲気にどこかデジャヴュ感があることに気付く

このところ稀ではないので、ひょっとしてと思い、帰ってから奥の本棚を探してみる

悪い予感が当たり、8年ほど前に手に入れた初版本が現れた

フランス語を始めて3年目の頃である

こちらを読んでみると、ほとんど同じところに線が引いてあり、再度驚く

捉え方は少し深まったと思いたいが、感受性の向かうところは変わっていないということか











散策中、何かを踏みつけたような感じがした

気になって戻ってみると、この上を通ったところだった







散策の合間、2軒のカフェで書きものと読み

少しずつ冬眠から覚めつつあるようだ







dimanche 19 février 2012

すべての部分を使う仕事をしているか




ジャン・ジャック・ルソーさん(1712-1778)の Émile ou de l'éducation をぱらぱらとやる

すでにわたしの言葉になっているようなことが書かれている

例えば、「生きるということこそ、彼らに教えたい仕事である

わたしの手を離れたら、どんな職種であろうが構わない

先ず人間であること」

つまり、生きることを仕事にすることができるかどうかの問題

それを仕事にできれば、最後まで充ちて在ることができるのではないだろうか



こんなところもある

「生きるとは息をすることではなく、行動し、働きかけること

それは、われわれの臓器、感覚、能力、すべての部分を使うことであり、それが生きている感覚を与えてくれる

最も生きた人間は年を重ねた者ではなく、最も命を感じ取ったものである」


こんな疑問が浮ぶ

以前に比べ、最近使っている部分は著しく限られてきているのではないか

在り様が先鋭化しているのではないか

生きている感覚を充分に味わっているか




samedi 18 février 2012

昨日の時間を味わい直す



今日は終日曇り

ただ、気温は先ごろに比べると10度近く上がっていて春に向かう気配を感じる

久し振りにバルコンでゆっくりしながら、シガーとともに昨日の時間を味わい直す











アトリエに招待していただいたマキさんに改めて感謝いたします





vendredi 17 février 2012

左岸のピアノ工房で現代を語る


Pianoforte-Jolly


午後からカフェで読んでから、パリ左岸にあるピアノ工房を訪問

年代物のピアノの調律や修復をされているのは、ご主人のフィリップ・ジョリーさん

哲学にも詳しいとのことで、お話を伺いに出掛けた

扉が閉まっているので帰ろうとしたその時、中から調律されていないピアノの音が聞こえたので再び玄関へ

ムスターシュが魅力的なご主人が現れた

日本人ピアニストのマキさんが教えを受けているところだった





早速お話を伺ったが、熱を持った語りはなかなか止まらない

フランス人は哲学が義務付けられているので、とはジョリーさんの言

ハイデッガーさんをよく引いていた

お話のポイントは、わたしの現在の認識と共通するところが多い

ピアノの技術は19世紀には完成し、それ以降は小さな工夫はあるものの進歩はない

寧ろ、退歩しているのではないか

その理由は、昔は確かにあった一つ一つのピアノが持つ個性が失われたこと

結局は、そこに価値を見出す人が減ってきたためだろう

これはピアノに限った現象ではない

すべては人間が考えなくなったためではないかと見ている (réfléchir という言葉を使っていた)

科学についても同じで、水俣や福島のことも例に出てきた

一つ一つの個性を大切にしない精神状態は、人間に対しても向かっているはずである

今、求められているのは、レフレクシオンではないだろうか







現世から離れ、時間が止まったような空間に身を置いても以前であれば感じたであろう違和感はない

それどころか、心地よささえ感じる

先日のらっこ様の御宣託ではないが、明らかに変容したのだろう





この世界、少し中に入るとわからないことばかりというジョリーさん

驚きの目で生きていきたいものだと改めて思う

たっぷりお話した後、マキさんとジョリーさんに記念撮影をお願いした




jeudi 16 février 2012

考えが浮かぶ場所、そしてカイロン・グノティ



ここまでは静かな一日

抽象の世界とはこんな感じなのかと思いながら浮かんできた考えを文字に移す

これから広がり深まることを願って種を植えるような感覚である

何かに触れた時に自分が反応するのは普通だろう

それとは別に、特に何もないのに考えが浮かんでくることがある

それがなぜかはわからない

しかし、そうした考えが浮かぶ場所はわかってきた

バルコンとバス・トイレ、あとは寝入りばなと起き抜けである

起き抜けに浮かんでくるというよりは、考えに促されて起きると言った方が正確だろうか

夢と繋がっているのだろう


問題は、考えが浮かんだと思う時に控えておかないと、あっという間にどこかに消えていくということ

それが最初にわかったのは寝入りばなに浮かんできたものだ

次の朝、そんなことが浮かんだことさえ覚えていないのだ

何かの切っ掛けで思い出したことがあり、そのことに気付いた

今ではトイレから出るともう浮かんでこないということもある

意味合いは違うのかもしれないが、カイロン・グノティ(Kairon gnôthi

その時を掴まなければ駄目、ということか




mercredi 15 février 2012

5年前の気持ちの良い講義



こちらの冬は乾燥するが、特に2月は酷い

お蔭様で体に変化が起き、寝られない

寝るのを止め、何気なく開けた最初のブログ「ハンモック」のコメント欄だけを昔に遡る

先日も感じたが、そこで豊かなやり取りが展開されているのに驚く

今回は、こちらに来る前にある大学で行った講義に関するお話を転載したい

興味深いコメントを残していただいた「らっこ」様はもういない

お話が出来ないのは残念至極である

野太い声と人を包み込む様なお人柄を偲びながら、読み直していた



2007-04-11

今日の午後、K大学へ講義に行く。若者に話し掛ける久しぶりの機会である。本題が終わったところで少し時間があったので、ここで止めてもよいかと係の先生に聞いてみると首を横に振っている。それでは、ということで最近よく話すことになっている科学を外から見る視点や人生と科学について10分ほど展開してみた。この話題は話す度に前の話では物足りなくなり、少しずつ膨らんできているようである。そして講義を終えた時に今まで経験したことのない拍手をいただくことになった。そのことにまず驚いた。何に対しての拍手か分からない。最近の学生さんの気質とも思えない。このクラスの特徴なのだろうか。

それから研究室に戻り、コーヒーを飲みながら雑談をしている時、学生が2人入ってきて、講義の資料が欲しいと言う。ここでは今まで資料なしでやってきたが、試験には関係ないと踏んでいたのだろうか、そういう要求が出たことはなかった。そして講義の感想を女子学生の方に聞いてみた。男子学生ははっきりものを言ってくれないからである。すると予想もしない反応が返ってきた。「お話を聞いていて、気持ちが良かったです」。これを聞いて三度目の驚きを味わった。どういう意味なのかわからないが、こういう感想は今までに一度も聞いたことがない。自分の中身が少し変わってきて、それがどこかに表れているということなのだろうか。

今日は私の内の変化は感じることができた。なぜかわからないが、最初から自分の体が熱く、大げさに言うとはちきれそうになっていて、体の内側から外に出ようとする圧力を抑えながら話していることには気付いていた。その圧力の源が何なのかはよくわからない。


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Unknown (yu)
2007-04-11 23:54:11

 同じ話を他の誰かに、2度・3度繰り返していくと自分の中で内容の密度が上がり、どことなく一歩踏み込んだ話が出来るのを、私は感じたことがあります。
 この文章を読んでいると、感覚が優れている方なのだと思いました。
 明確ではないけれども、なんとなく変化を感じれる。このように感覚で判断できる人間というのは、今の日本には少ないのではないのか?と、考えながら読ましていただきました。


yu様 (paul-ailleurs)
2007-04-12 20:47:10

訪問ありがとうございます。人と言葉を交わしている時、あるいは人の前で話している時に、自分がしっかりわかっていないところや論理的につながらないところがほんの一瞬ですが浮かび上がってくることがあります。それを流してしまうか、そこで一度躓いてみるか、これからは躓きながら行きたいと思っているところです。

このことは、頭の中ではわかったつもりになっていることが意外に頼りないものであることを意味しているのだと思います。書き出すだけではなく、言葉に出してみるということがいかに重要かということでもあります。思考はやはり体すべてを使って初めて完成度を増すということでしょうか。


変身? (らっこ)
2007-04-29 04:06:39

Paul さんのブログ、読み出したら止まらないので困っています(笑)。すばらしいですね、深くて。でも明らかに、ある生命体から別の生命体へと「変身」を遂げつつありますよ、Paul さんは!こんなプロセス、滅多にお目にかかれるもんじゃありません。貴重な体験をシェアさせていただいて本当にありがとうございます。これ、あくまでらっこの直感ですが、Paul さん、前世はフランスですね。


ご宣託ありがとうございます (paul-ailleurs)
2007-04-29 14:13:20

丁寧に読んでいただきありがとうございます。自分でも気付かないことが文章に表れているのでしょうか。変身願望は強い方ですので、そのような兆候が見えているということは喜ばしいことに感じています。実のところ、これからどのようになっていくのか、自分でも興味津々です。また訪問いただき、新たなご宣託をいただきたいくらいです。よろしくお願いいたします。


輪廻転生 (らっこ)

2007-04-30 05:35:08

Paul さんがこれからどう変身していかれるのか、らっことしても興味津々です(笑)

昔、パリにオルガン弾きの友人がいました。日本人ですが天才的な男で、パリ市内の二つほど教会のパイプオルガンを任されていました。任されているということは教会の鍵も持っているということで、たまたま教会が休みの日、その鍵で中に入り、彼はらっこのためにパイプオルガンを演奏してくれたのです。観客一人のために。。贅沢な話です。もちろん感激しました。

そのオルガン弾きとある日、セーヌ川の近くの細路地を一緒に散歩していたとき、ある屋敷の門の前でぴたっと足をとめ、「この門は前に見たことある」と言うのです。その細路地は彼も初めてだったので、おそらく déjà-vu ってやつですね。

Paul さんも多分、パリで déjà-vu の経験おありなのでは?


déjà-vu (paul-ailleurs)
2007-04-30 08:40:24

贅沢な経験のご紹介、ありがとうございます。私も向こうの教会の音楽会に行くことがあります。天から降りてくるような音楽に身を晒す楽しみを味わうためではないかと思っています。ところでパリでの déjà-vu の経験を今すぐに思い出すことはできませんが、長い間歩いていると自分がどこにいるのかわからなくなることはよくあります。この感覚は何とも言えないものです。昨年山口を訪れた時、何でもない町並みを子供時代の私が歩いているという感覚に陥りました。déjà-vu だったのではないかと思います。


感覚 (らっこ)
2007-04-30 14:37:42

「天から降りてくる」。。同感です。でもPaul さん、やはり詩人ですね。おっしゃっておられるパリでの何とも言えない感覚、山口での感覚。どうしても理性やロジックを優先しがちな現代人にとって、そういう「感覚」って大切にしたいですね。

今、読んでいる本に『内臓のはたらきと子どものこころ』というのがあります。タイトルからは育児書?と勘違いされやすいですが、そうではなく人間のからだが本来持っている感覚(著者の三木成夫氏はこれを「内臓感覚」と称していますが)の不思議さを説明したとても面白い本です。オススメですよ(笑)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4806745669.html


三木成夫 (paul-ailleurs)
2007-04-30 20:11:20

今の社会の流れは確かに理性やロジックに偏り勝ちですが、存在全体が捉えるものを大切にしたいと思っています。ただ、ロジックに偏りがちとは言うものの、それとて中途半端なものに思えることもしばしばです。こちらを徹底しながら感覚も大切にできないかと考えているところです。大変そうですが。

ところで三木成夫という人の話は面白そうですね。これまでであればほとんど反応しないような内容なのですが、最近はむしろ積極的に、しかし白紙の状態で一度話を聞いてみようか、という精神状態になってきています。ご紹介ありがとうございました。


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mardi 14 février 2012

瞑想から文章へ、そこが問題



午後からカフェで読み、瞑想する

この過程はよいのだが、そこから論文の文章に移すところが滞っている

最初から素晴らしいものを作ろうとするために筆が進まないという症状がある

これはマスターの時にも味わったもので、全く治っていない

もうひとつは、いろいろある小さなテーマのすべてを一息に終わらせようとするため、いずれにも手が付かないというもの

どちらも無理な注文を出している

そろそろ自らの習性を飼い馴らす術を覚えてもよさそうなものだが・・・

それとも、いつまでもモラトリアムを決め込もうというのだろうか



夕方、先日触れた映画 「もぐら」 を観る

残念ながら、筋書きが最後まで分からず、わたしから見ると失敗作

楽しんだのは懐かしいブダペストと未だ足を踏み入れていないイスタンブールの雰囲気だけ

最近、この手の映画には反応しなくなってきているのかもしれない



lundi 13 février 2012

フィリップ・クリルスキーさんの最終講義を聴く


Pr. Philippe Kourilsky (Collège de France)
Leçon de clôture



今日は午後から研究所へ

アン・マリー・ムーランさんから送られてきた論文などを読む

国際学会への参加をどうするか考える

まだ纏まってもいないのに である

少し手を広げ過ぎかもしれない


夕方 フィリップ・クリルスキーさんの最終講義を聴くため コレージュ・ド・フランスへ

免疫学の将来の展望や応用 そして教育の問題が出ていた

これまでにパスツール研究所の所長を経験し 今シンガポールの免疫ネットワークを率いている

そのためだろうか

自らの研究の中に閉じ籠るのではなく 全体を見渡そうとする視線がある

利他的な姿勢と言ってもよいだろう

感謝の言葉を始めた時 感極まったように聞えたのは わたしの耳のせいだったのだろうか




dimanche 12 février 2012

仕事をしたくない人?


Lucien Jerphagnon (1921-2011)
聴衆を掴む(リュシアン・ジェルファニヨン)
「公衆の前で話す術を知るということは、淀みなく自分の意見を発表するだけではなく、特に聴衆の関心を掴み、それが適切な時と場であるならば矢のように的を射る議論を放つことだろう。カイロン・グノティ(Kairon gnôthi*) 『好機を知れ』 という合言葉に優るギリシャ的なものは何もないのである」

* 古代ギリシャの七賢人のひとり、ミテュレネのピタコス(Pittacos de Mytilène, vers 650-vers 570 av. J.-C.)の言葉と言われる



少しだけ寒さが緩み始めたかに見える日曜の午後

いつものように遥か遠くに視線をやりながらぼんやりする

庵での瞑想というやつである

そこでこんなことに気付く

大発見ではないか と思う


この人生においてわたしが仕事をしたと言えるのは 24年ほどではないのか

大学院時代にポスドクとしてアメリカに向かった

それが仕事を始めた最初ではないかとこれまで思っていた

しかしそうだろうか

実はモラトリアムだったのではないか

すぐに社会に出て仕事をしたくなかったのではないか

7年が経ち やっと日本で仕事をする内なる必要を感じ 戻ってきたような気がする

そして そのことが忘れられず 今度は仕事を離れての隠居生活


目の前のことに追われるのではなく 遠くを見て生きていきたい人なのか

このわたしは仕事をしたくない人ではないのか


そんな想いが湧いてきた久し振りの寒いバルコン








samedi 11 février 2012

続くモグラ生活、そして映画 「モグラ」 始まる



それにしても寒い

本当に寒いのか、緊張が解けてきて寒さを感じるようになったのか

寒さのため、外に出る気力が失せる

長い冬休みが続いている

モグラの生活とはこんなものか



そんなことを考えていたところ、"La Taupe" という映画が始まったと Le Point にある

原作はジョン・ル・カレさんの1974年の作品 Tinker, Tailor, Soldier, Spy

懐かしい響きだ

映画の邦題を調べると 「裏切りのサーカス」 となっている (公式サイト








イスタンブールが出てくる

少しだけその気になってきたようだ




vendredi 10 février 2012

「スピノザと日本」 再び



前ブログに面白い記事を見付けた。そういうことも確かにあった、と見ると思い出すタイプの記事になる。最初のブログ「ハンモック」に届いた山石水皮様からのコメントから「こと」は始まっている。記憶を更新するために、4年振りに読み直すことにした。コメントが届いた記事は、以下のスピノザに関するものである。


スピノザBaruch Spinoza, 1632.11.24-1677.2.21)


山石水皮様のコメントにはこう書かれていた。

「スピノザは神学・政治論で日本について書いていると聞きました。何からどのようにして日本を知ったのでしょうか。スピノザは江戸日本からどのよ うな影響を受けているのでしょうか。17-18世紀のヨーロッパの変化について関心があり調べています。お分かりでしたらお教え願えれば幸いです。」

私自身はスピノザに興味を持ってフランスの雑誌記事について触れたのだが、スピノザを読んでいる専門家でもなければ哲学に広く通じているわけでもない。したがって、その疑問には答えられない旨の返事を書いた。しかし、返事を送ろうとする時、指摘されている不思議なつながりに異常な興味が湧いていた。少し調べてみようという気になりネットをサーフすると、上智大学が発行している雑誌に載っている、まさにこの問題を扱った論文に行き当たった。ラテン語とその訳としてのドイツ語が出てくるフランス語論文を頼りに、両者の関係を探ってみることにした。

Henri Bernard "Spinoza et le Japon"
Monumenta Nipponica, Vol. 6, No. 1/2, pp. 428-431, 1943


スピノザの死後20年にあたる1697年に、彼に敵対していたピエール・ベール Pierre Bayle (1647-1706) というフランス百科全書派のさきがけと言ってもよい哲学者が Dictionnaire historique et critique 「歴史と批判精神辞典」 を出版した。この膨大な辞書はネットで読むことができるが、スピノザの項だけでも70ページが割かれている。その中でスピノザを 「古今のヨーロッパや東洋の哲学者の影響を受けているが、全く新しい体系と方法を持つ無神論者」 と規定した上で、中国の哲学、さらには日本の哲学と同一視しているという。

私がざっと目を通したところでも、無神論を構成する要素が中国人の間には広まっているという指摘があり、別の書の引用がされている。そこには、中国人は世界の至る所に精神が宿っていると考えており、それは星であり、山、河、植物であったりする、という記載もある。

1649年、スピノザ16歳の時にはベルンハルト・ヴァーレン (ラテン名:ベルンハルドゥス・ヴァレニウス) の Descriptio Regni Japoniae という日本伝聞記がアムステルダムから出版された。この著者は地理学にも興味を持っていたドイツの医者にして数学者で、仕事の慰みに日本についての情報をハンブルグの政治家などに提供していたという。この方は28歳の若さでこの世を去っている。


Descriptio Regni Japoniae


1663年には、日本に初めて足を踏み入れたフランス人と言われるフランソワ・カロンFrançois Caron) の A true description of mighty kingdoms of Japan and Siam という書も出版され、スピノザが日本に関する情報に接する機会は少なくなかったと想像できる。余談だが、この書はあらゆることに興味を持ち、デカルトを家庭教師に呼んだスウェーデンのクリスティーナ女王にも献呈されている。幸いなことに、同志社大学のケーリ文庫で読むことができる。

その上で、この論文の著者アンリ・ベルナール氏はこう結論している。Tractatus theologico-politicus 「神学・政治論」 で日本に言及されているのは第5章における日本でのキリスト教の儀式についてだけで 、スピノザの哲学思想が日本の儒教思想に影響された可能性は低いのではないか。

他の論文に当たっていないのでベルナール氏の主張の正当性は保証できないが、どこかに向けての第一歩になったようだ。

(24 février 2008)


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最初の記事に山石水皮様との興味深いやりとりが残っていることもわかった。
以下に転載したい。


スピノザと江戸日本 (山石水皮)
2008-02-22 10:43:13

ごく初歩的なことなのでよろしくお願いします。スピノザは神学・政治論で日本について書いていると聞きました。何からどのようにして日本を知ったのでしょうか。スピノザは江戸日本からどのような影響を受けているのでしょうか。17-18世紀のヨーロッパの変化について関心があり調べています。お分かりでしたらお教え願えれば幸いです。


訪問ありがとうございます (paul-ailleurs)
2008-02-23 20:37:07

興味深いご指摘ありがとうございます。私自身は専門家ではありませんが、少し調べてみましたところ、この問題についての論文があるようです。結論から言いますと、スピノザの哲学が日本の儒教の影響を受けているという可能性は少ないようです。もう少しはっきりした段階で現在のブログ A View from Paris (http://paulparis.exblog.jp/) に掲載したいと考えておりますのでご参照ください。よろしくお願いいたします。


お相手いただきありがとうございます (山石水皮)
2008-02-25 19:42:37

いろいろなところに問い合わせていますが、まともに取り合っていただけたのはこちらが初めてでした。大変ありがとうございます。ベールについてはカントの永遠平和に先んずること100年の日本評価がありました。日本語訳の寛容論です。あとは歴史批評辞典の”日本”と”スピノザ”項目でした。今 住んでいないので17世紀の歴史全体状況が分かりませんとスピノザが何を知っていたのか分からないので、それが知りたいと思っています。ベールはスピノザの思想がどうして日本に伝わったのか不思議だというようなことを書いていたと思います。全く逆だと思いますが。よろしくお願い申しあげます。


不思議な繋がり (paul-ailleurs)
2008-02-28 07:31:04

今回はスピノザ、ベール、日本のつながりの端緒に接する機会を作っていただきありがとうございます。これから気をつけてみていきたいと考えております。進展がありましたらお知らせいただければ幸いです。


スピノザの周り (山石水皮)
2008-02-28 21:32:57

スピノザの周りの状況で今までに分かってきたのは次のような断片的なものですが、日本との関係はいろいろです。スピノザとレーウェンフークはともにレンズを磨き、細胞観察をしていたようです。ともに1632年生まれ、フェルメールも同じです。レンブラントは和紙をエッチングの印刷に使っています。同じ町に住んだり知り合いだった可能性もあるようです。フェルメールは日本の着物を着た人物像を4枚描いています。作品数35枚ですからそのつもりで見れば直ぐに分かります。その他の当時の画家もハーフの女性、鎧、刀など描いている絵があります。スピノザは商人でしたから日本との貿易が、世界遺産の石見銀山の銀などで儲かるとすれば注意していたことでしょうか。現実存在の多神教日本は注目の的だったのではと。スピノザの書いているのはもう一カ所有るようです。5章と16章だと聞いています。スピノザと日本の関係に関する論文は是非見てお教えいただければ幸いです。よろしくお願いします。


歴史の陰 (paul-ailleurs)
2008-02-29 04:50:08

スピノザとレーウェンフーク、フェルメールとレンブラントと不思議な繋がりをご紹介いただきありがとうございます。スピノザの本には先日AVFPで紹介した論文に16章のことも書かれてありましたが、その部分を実際に読んでいないので割愛しました。彼が日本人に興味を持ったのは、中国人と同様にその政治体制からであるという記述が論文には見られました。神即自然、彼の根本のところが中国や日本と関連があるのでもっと何かがありそうに見えてきますが。これからも注目していきたいと思います。


フランス関係も有りました (山石水皮)
2008-03-02 10:21:21

先日の中で忘れていました。多分今フランスに居られるのでしょうか、フランスについてもありました。聞くところでは、ディドロなどが百科全書などで、ルイ14世は肉料理の隠し味に醤油を使っていたといいます。それも中国のものより日本の方が味がいいなどと云っていたようです。また「日本の哲学」という項目があるようです。もちろん醤油はオランダがスピノザ当時から輸入してヨーロッパ中に売り、評判になったようです。醤油をまねて作ってみたが醤油豆(ソーイビーンズ  大豆) が無かったのでウスターソースができたとか?などとも聞いています。興味を持っていただければ幸いです。


ディドロと日本 (paul-ailleurs)
2008-03-02 19:07:04

再び、興味深いお話をありがとうございます。ディドロという人物に興味があり、avfp の顔にもなっております。百科全書についてはまだ読むところまでは行っておりませんが、今回その中に「日本の哲学」という項があるとのことで早速当ってみましたところ、ご指摘の通り、私が予想していたよりは遥かに詳しい内容のものが見つかりました。余裕があれば、またavfpの方に記事を書くことになるかもしれませんが、その節はよろしくお願いいたします。


知りたい他のはなし (山石水皮)
2008-03-05 06:35:00

突然ですが、話変わりまして。多分興味の他とは思いますが、ロココについてです。マイセンで柿右衛門が写しを作られ(金と同じ価値だったとか)、日本宮を作り、柿右衛門磁器がヨーロッパ中に広まり、ロココは柿右衛門の模様 非対称の美がモチーフになったということです。ポンパドゥルのことですが、セーブルでは柿右衛門写しを作っていると聞きます。美術館などで見てみてください。


セーブル (paul-ailleurs)
2008-03-05 07:43:31

新たに典雅な世界をご紹介いただきありがとうございます。陶器はこれまでも見ていますが、私の中には余り入ってこない部類に属しています。今回、柿右衛門との関係で情報をいただき、セーブルの美術館もパリ近郊にあるようですので頭の隅に入れておきたいと思います。


(註)お薦めをいただいてから、何と2年以上経ってから美術館を訪問する機会があった。ただ、柿右衛門には目が行っていなかったようだ。

セーヴルで陶磁器を味わう、そして井上靖へ (2010-9-7)


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三代に亘るブログの間を行き来する試み。

過去の営みが眠りから覚め、今に蘇る感覚もなかなかよい。

また味わってみたいものである。





jeudi 9 février 2012

知らない人と付き合う人、知っている人としか付き合わない人



今週二度目のコレージュ・ド・フランスへ

終わってからいつものカフェでぼんやりしている時、こちらに来てからの生活を振り返っていた

それを一言で言えば、何度も触れているが、庵の生活だ

そこで何をやっているのか?

知らない人や今は亡き人と付き合っている、と答える

「今・ここ」 に埋もれた現世では、知っている人としか付き合わない

それで長い間やってきた

そこでは、知らない人の世界は意識に上らない、気に掛けない

庵では知らない人だけを相手にしているためか、現世よりは想像力が働いているように感じる



そこで思い出したのが、昨年90歳で亡くなったリュシアン・ジェルファニョンさんのこと

Lucien Jerphagnon
(7 septembre 1921 - 16 septembre 2011)


この方とはブログを始めてすぐに出会っている

普段は古代に生きていて、たまに現代に戻ってくるという言葉が印象に残った

<こういう生き方も面白いな、と思ってしまった>と書いている

それをその数年後から始め、今その只中にいるのではないか

そう理解した瞬間、7年前の接触が今と繋がっているような感覚が襲う



古代の記憶 - リュシアン・ジェルファニョン (II)(2005-6-7)

リュシアン・ジェルファニョンさんのお話を聴く (2011-10-16)








mercredi 8 février 2012

あるフランス人から届いた4年前の便りを味わい直す



前ブログ「パリから観る」を読み直しながら、新しい場所にコピーしていることについては以前にも触れた。はっきり覚えていることと記憶の彼方に去った出来事が混じっている。今回、丁度4年前の2月に Liguea と名乗るフランス人から届いた心に沁みる便りについての記事を見つけた。この記事を見るまで忘れていたメッセージになる。

Liguea 様とのそもそもの交流は、さらにその2年前に遡る。最初のブログ「フランスに揺られながら」の仏版に予言のようなコメントを残してくれたのだ。その中で、わたしの性向を読み取り、愛すべき芸術家・哲学者としてハイデッガー、フッサール、そしてカンディンスキーの名を上げていた(2006-4-28)。また、こちらに来る数カ月前にはフランスの文化の状態について語ったメールをいただいた(2007-5-27)。そして、今回取り上げる2008年のメッセージが続いたのである(2008-2-23)。その便りは、こんな内容であった。

「昨年メールを出してからご無沙汰していました。わたし自身取り込んでおり、パソコンに向かう時間もありませんでした。大変失礼いたしました。

今回、あなたがフランスに来られたということに深く心を打たれています。もはやフランス人でさえ、このフランスの地に立ってフランス語やフランス文化を学ぼうとするあなたに比する愛情を自らの文化に持っているとは言えないでしょう。フランスは今、大きく変わろうとしています。そのすべての精神性とは関係のない世界になっています。わたしは心底フランスには幻滅しています。自らの運命を自らの手で決めることを止めてしまった国には全く魅力を感じません。ご自身の存在にとって意義のある目覚めをフランスから得ようとするあなたの試みに、迸り出る生命の躍動と勇気が与えられますように願っています。

ところで、われわれの道行きが交錯していることにお気付きでしょうか。あなたは科学の世界から科学哲学という抽象の世界へと向かわれています。つまり、あなたは「存在」の新しい理解につながる最も多様な基盤へと向うために、具象の世界から旅立った人なのです。あなたの年齢でそのような道に入られることに深い尊敬の念を覚えると同時に、わたし自身を深い思索へと導いてくれます。反対に、わたしの方は抽象的な場所から現実に戻ることを決めました。ある意味では逃避の世界から具体的なものを作る仕事に就くことになります。それはわたしの青春時代の夢でもあったのです。わたしは40歳を前に哲学を辞め、具象の世界に生きる成熟を得たと思っています。

人生は不思議で驚きに溢れています。われわれの道行きの方向は重要ではありません。どんなに些細なことでも自らの最善を捧げて実現していくという心の在り様こそ重要なのです。フランスがあなたに捧げてくれる最善のもの、そしてわたしが移住することに決めたスイスがわたしに齎してくれる最善のものを期待したいと思います。

最後になりましたが、もしあなたがフランスに長く滞在されるのであれば、あなたをわたしの未来の祖国に招待したいと思っております」

Liguea 様の言葉はいつも的確である。
そのためだろうか。
自分のいる場所に別の方向から光が当てられ、浮き上がってくるように感じられる。
哲学という営みに若い時から勤しんでこられた方だからこそ、見えることがあるのかもしれない。

ところで、いつの日か、招待状は届くのだろうか。




mardi 7 février 2012

「得られた真理ではなく、自由な研究の理念を」 語る人のいる空間


« Non pas des vérités acquises mais l'idée d'une recherche libre »
(Maurice Merleau-Ponty)

「得られた真理ではなく、自由な研究の理念を」
モーリス・メルロー・ポンティ


今日の写真は、メルロー・ポンティさん (1908-1961)の言葉が壁に刻まれたコレージュ・ド・フランスの地下ホールである。真理という結果ではなく、そこに至るために不可欠になる自由な研究とはどういうものなのかがわかるように語るのがコレージュ・ド・フランスのモットーということになるのだろうか。

昨日は寒い中、クリルスキーさんのお話を聞きに出掛けた。静かに自らが愉しむように語る中に興味深い話題が隠れていた。大部分の研究者は自分の研究を深め、それを売るのに忙しい。その他に、自らの研究領域を離れ、全体を総合的に見渡す哲人的研究者が必要になるのではないだろうか。そういう人のいる空間では研究という営みに奥行きと深みが出てくるのではないだろうか。以前にも触れたかもしれないが、コレージュでの話を聴いているとそんな感想が浮かんでくる。終わってからお定まりになったカフェに寄り、思いを巡らせてから帰って来た。







lundi 6 février 2012

想像羽ばたく発見、たとえ悪戯だとしても


志賀潔著
「パウル・エールリッヒ ― その生涯と業績」
冨山房、昭和28年)


昨日のこと。寒いので外出する気にもならず、ぼんやりと日本語の本を手に取った。数年前、日本の本棚から持ってきた吉村昭著「日本医家伝」(講談社、1971: 680円)である。最後にあった「秦佐八郎」を読む。秦佐八郎博士(1873-1938)と言えば、パウル・エールリッヒ博士(1854-1915)と共に梅毒の特効薬サルバルサン606号を見付けたことを知っているくらいだったので、少しだけ肉付けされたように感じる。

読むうちに、数年前に古本屋で手に入れたエールリッヒ博士の助手をしていたマルタ・マルクワルトさんが書いた「エールリッヒ博士の思ひ出」(白水社、昭和18年: 一圓八十銭)のことを思い出す。その中に、秦博士の写真とエッセイがあったからだ。と同時に、同じ古本屋で見つけた「パウル・エールリッヒ ― その生涯と業績」 (冨山房、昭和28年: 280円) という志賀潔博士 (1871-1957) が書いた本のことも思い出したのだ(因みに、この本はネットで読むことができる)。早速取り出して表紙を捲ると、こんな書き込みがある。




手に入れた当時も書き込みには気付いていたが、いつものようにそのままにしておいた。そして今回、暇にまかせてじっくりと見直してみた。まず、この本を贈られた岡小天という方(1907-1990)は、同姓同名の方でなければ、シュレディンガーさん(1887-1961)の名著「生命とは何か」を鎮目恭夫氏(1925-2011)とともに訳されたことで知られている。ただ、贈り主の方は聞いたことがないので最初に見た時にはそのままにしたのかもしれない、などと思いながら検索してみると、面白いことがわかってきた。

志賀潔氏は貴洋史とも名乗っていて、潔よりは気に入っていたとの記述がある。日付から年齢を計算すると間違っていない。それだけではなく、この名前と年齢を添えて記帳しているところもあるという。急に真実味が増し、興奮してくる。将来、志賀貴洋史という署名を見る機会があれば、じっくりと比較をしてみたいものである。それにしても、贈呈された本をこのように古本屋に売りに出すものだろうか。あるいは、好事家の悪戯なのか。そうだとしてもこんな粋な悪戯ならば歓迎である。いろいろな想いが巡る日曜の夜となった。