lundi 31 décembre 2012

トゥール市内、ロワール河畔散策

Palais de Justice (裁判所)



昨日は、前日の影響か鼻水が止まらない

そんな中、 トゥールの町を散策することにした


  Hôtel de Ville (市役所)


市役所前のカフェが開いていたので暖を取る

キオスクで手に入れた哲学雑誌に出ていたウンベルト・エーコさんUmberto Eco, 1932-)のインタビューを読む

その中で、特にご専門の記号論に関するお話が興味を惹いた
 
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記号論とは、現代哲学の形態である
 それは20世紀哲学を襲った言語論的転回 (linguistic turn/tournant linguistique)に向き合う最良の方法だから

 言葉で表現されたものと言葉との関係をどう見るのか
アングロ・サクソンの分析哲学は、純粋科学を真似て心的要素を排除した
言葉を純化し、外部にある物や状況の標識として以外には使用しない
存在しないものには興味がないのである

それに対して、記号論は分析哲学では問題にならない心的存在にも興味を示す
人間存在にとって避けることのできない文化的、道徳的、倫理的な側面も扱う
より複雑で、興味深い領域である

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そこを出て、さらに散策を続けた




店はほとんど閉まっているのに、よく人が出ている

路面電車は工事中

何気なくこんなデコレーションができる人たちであることに、いつも感心する




ロワール河畔に辿り着く

後ろは、サン・ジュリアン教会 (Église Saint-Julien de Tours



Le Point Wilson (ウィルソン橋)


ウィルソン橋のあたりは、結構流れが速い

流れの緩やかなところでは鳥を見かけた



洪水の記録が残されていた




初日に出会ったサン・サンフォリアンの吊り橋 (Le Pont Suspendu de Saint-Symphorien) が見える

方向は間違っていないことを知り、安心



 ジャンヌ・ダルク (Jeanne d'Arc, 1412-1431) が1429年5月13日にトゥールを訪れた

トゥール城 (Château de Tours) で王が彼女を迎えた、とある

その500年祭のプレートが、お城の向かいの建物の壁にあるのを発見
 
初日にも歩いていたが、気付かなかった


(聖ガシアン大聖堂)


昨日は鼻水と格闘の一日になった

今年最後の一日は、静かに来るべき年を想うことにしたい




今年も訪問ありがとうございました

よいお年をお迎えください




dimanche 30 décembre 2012

遠いデカルトへの道


昨日は雨の予報だったが、朝から晴れ上がってくれた

トゥールの町でゆっくり考え事でもしようかと思っていたが、デカルトの町が見たくなる

昼前に街に出て交通の便を確かめる

念のため駅に行き、案内板を見るもそれらしいものがない

すぐに駅前のバス・ステーションで訊ねると、30分後にバスが出るという

デカルトまでは、途中で乗り換えて1時間半

年末のお祭り期間なので、運賃は一日1.8ユーロのところ1ユーロとのこと

幸先の良いスタートで、気分が乗ってくる

出発までのカフェでは、アイディアまで浮かんできた

 
 

定刻に出たバスの車内には案内のスクリーンまで付いている



道中、デカルトの町を想像しながら、あまり変わり映えのしない車窓の景色を眺める

そして、問題は名前も覚えきれない乗り換え駅で待っていた

13時に来るはずのバスが来ないのだ

 トゥールを出る時にもらった時刻表によると、次は夜の6時50分になっている

バスも結構不便だ

トゥールに戻る最終便がその駅を午後5時に出ることになっているので、それまではここに留まるしかない

寒風吹きすさぶ中、バス停でパリでは読む気にならない難しい本を読むことにした

しかし、読みながらもいろいろな考えが過る

日曜にはバスが走っていないとある

もし、帰りの便が来なければどうしよう

その時は、この町で1泊か2泊しなければならないかもしれない

ホテルなどあるのだろうか

1時間ほど読んだ後、この町に留まり散策することにした



この町はサント・モール・ド・トゥーレーヌ(Sainte-maure-de-touraine)という

上の写真が中心街で、ホテルやレストランなどが並んでいてホッとする

田舎の町がそうであるように、この道の周囲に半円形に広がるように教会や住宅がある

中央道に面して廃屋もあった




トゥール方面への道は上り坂になっていた

見晴らしの良いところに着くと、この景色

予報通りの雨になるのだろうか

そう思いながら坂を下ると、中年の男性二人が何やら話しているので交通の便のことを訊いてみた

デカルトまで歩いて1時間半くらいであれば、とも思ったが、何と4-5時間

土地の方はほとんどが車で移動されているのだろう

バスの状況はよくご存じで、もうヒッチハイクしかないでしょうとのこと

地の果てですね、と返すと笑っていた

坂をさらに下りるとタバが空いていたので、暖を取ることにした

そこで2時間ほどお邪魔しているうちに雨が降ってきた


 
バス停に行くも誰もいない

もしバスが来なければ、とは考えないことにして時の流れを待つ

予定時刻の5分くらい前になり、1人、、、2人、、と集まり出してホッとする

トゥールに向かうバスの中、今日は一体どういう日だったのかに思いを巡らせるも説明を思いつかない


トゥールに戻り因縁の町について調べる

すると、わたしも気に入っているチーズ、サント・モール・ド・トゥーレーヌSainte-maure-de-touraine)の町であることが判明

そのことを知らせるための一日だったはずもないが、名前はスラスラ出るようにはなっている



そして、一夜明け、今日のタイトルを思いついた

写真を見直してみると、サント・モール・ド・トゥーレーヌに向かう冒頭の景色

この日を暗示していたのかもしれない

こんな一日だったが、心はどこまでも凪であった




samedi 29 décembre 2012

トゥール到着後の散策



新しい町に入り、当て所もなく探りを入れる時、精神が立ち上がる

それは緊張感とともに仄かな期待を運んでくれる

この町はどんなところなのか

昨日の午後遅く、短い散策に出た

Centre International de Congrès de Tours


駅を出ると、目の前にユニークな建物がある

ダ・ヴィンチLéonard de Vinci, 1452-1519)の名前が付いた国際会議場だ

この町では「ヴァンシ」の名が目につく

インフォメーションで訊ねてみると、この近くのアンボワーズにレオナルドが住んでいたからではないかとのこと

この地域に関係のある作家や哲学者を教えていただく

Michel Colombe (1430-1515)






Le Pont Suspendu de Saint-Symphorien (1847)
ロワール川にかかるサン・サンフォリアンの吊り橋




 散策の最後、喉を潤すためこの店に寄った

 口が寂しくなったので、ご主人にナッツのようなものはないかと訊いてみる

すると、ナッツだけではなく、ソーセージ、プチトマトの中に何かを詰めたものなどが出てきた

嬉しいことにお勘定には入っていなかった



ここで、インフォメーションで集めた情報を確かめてみる

ここから1時間少しで行ける場所にデカルトがある

デカルトRené Descartes, 1967-1650)さんの生家がある町である

ただ、電車はそれほど便数がないのでバスの方がよいのではないかとのアドバイスをいただく

この滞在中に行ってみようかという気分になり、店を出た






vendredi 28 décembre 2012

トゥール到着


ロワール川沿いにあるトゥール(Tours)にやってきた

パリのオーステルリッツ駅からアンテルシテ(INTERCITÉS)に乗り、2時間ちょっとで着いた

Les trains classiques という表現も嬉しい

パリも濡れていたが、こちらも同じだ

少し鄙びてはいるが、古代ローマにも遡ることができるという歴史ある町

来し方を振り返り、新年に向けて瞑想するにはよさそうである

そこから新しいものや活力が生まれてくるのか

そのあたりを観察してみたい




外気に触れ、惰眠から覚めよ


深夜のバルコン

薄い雲が南へ早足で流れて行く

夜の雲の色もなかなか捨てがたい

高く上がった月がやけに明るい


それにしても冬のバルコンに出ても気にならないとは、今年は暖かい冬なのか

扉を全開にして外の空気を取り込む

ひょっとすると、外の空気の中で生活したいと思っているのではないか

アパルトマンの中では沈滞しか待っていないと悟ったのか


遥か彼方から威勢のよい音楽が聞こえてくる



そして今、サンテックスが乗った飛行機が太い音を立てて横切った





jeudi 27 décembre 2012

ジャック・アタリさんの 4F とは


雑誌 L'Express の年末大特集はインド

85ページを割いて広範に扱っているので、今後の参考になりそうだ


この雑誌の最後には 「パースペクティブ」 という欄がある

そこにジャック・アタリJacques Attali, 1943-) さんの "Le Projet 4F" というエッセイが出ている

混迷の時代にあるフランスが目指すべき方向性を提案している

その野心を表現するために彼が選んだ4Fとは、以下の4つである

Fluidité、Fraternité、Francophonie、Fédéralisme


 Fluidité は社会の流動性を意味し、イノベーションを奨励し、仕事の柔軟性を促進する

Fraternité は異なる階層間の財政的、社会的、政治的、文化的な連帯を意味している

流動性やイノベーションがポジティブに受け入れられるために必要になるものである

 Francophonie は、フランス語を話す人たちを大切にし、文化的、政治的、経済的な力にすることを指す

現在、フランス語を母語とする人口は2億2千万人

特にアフリカでの文化的存在感が維持されれば、その数は35年で7億人に膨れ上がると予想されている

 3倍にまでなる言語は他にないという

この機会を生かすには、文化、教育、留学生に対する投資が不可欠になる

そして最後のFは、Fédéralisme Européen

民主的な統合を強化する方法が示されなければ、ユーロ圏の破綻は避けられない

高級官僚にすべての決定を任せている状況に耐えられなくなるからである

フランスは状況の変化に備えなければならず、国益をどう護るのかについて考えなければならない

ヨーロッパ連邦制は、フランスの主権を護る上で一つの重要な要素になる


こう提案した上で、議論を求めている




mercredi 26 décembre 2012

久し振りのエドガール・モランさん


久し振りに雑誌 Le Point を手に取った

年末の2週をまとめたもので、4.50ユーロ

フランスを特徴付けるお城の特集がある

「思想」の欄には、最近日記を出版した御年91のエドガール・モラン(Edgar Morin, 1921-)さんが出ている

Journal 1962-1987 (1180 p, Seuil, 2012)
Journal 1992-2010 (1296 p, Seuil, 2012)

以下、モランさんの言葉から

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科学が進んでも、そこには論理では説明できないものが残る

われわれは常に神秘に囲まれている

生命の創造性はその一つだ

その時に信に逃げ込むのではなく、神秘を前に驚き、探求する姿勢を保ちたい

社会を変革することは、望ましいことであり、可能でもある

20世紀の革命の失敗を見てきた人間として、これからは地球規模の変容を求める

自由、表現の権利に対するすべての制限には強く反対する

社会構造だけではなく、われわれの生活、思考の構造を変える必要がある

すべての大きな変化は、目に見えないところから始まる

 現実はいつも曇っていて、どこにでも見られる変化の兆しに気付かない

これからもすべてに興味を持ち、複雑に考えて行きたい

わたしを生かしているものは、愛であり、友情であり、好奇心だ


mardi 25 décembre 2012

紺碧の空を再び仰ぐために


朝のうち、静かに留まっていた厚い雲

9時を過ぎたあたりだろうか、北東に速く流れ始めた

カオスの中から希望が湧いてくるような景色だ

これがこれからの日本の姿であることを願うばかりだ

この雲を動かすのに 「風」 に頼るわけにはいかないだろう

紺碧の空を見るためには、明晰な思考がなければならず、哲学することが求められるはずである

それがなければ、いつまでも曇りのままのような気がするクリスマスの朝



 

lundi 24 décembre 2012

インターフェースから語ることはできたのか


今朝のバルコン

すでに沢山の飛行機が飛びまわっていたようで、雲が縦横に伸びている

今日はなぜか気分が緩んでいて、予定していた原稿に向かう気にならず

ある程度の形を年内には見たいと思っているのだが、、、


インターフェースから語るをキーワードに歩んできた今年を振り返る








dimanche 23 décembre 2012

バディウさんによる現代フランス哲学 (2)



昨日のバディウさんの「現代フランス哲学」の分析の中に形の問題が出てきた

 哲学と形の創造との間には密接な関係がある

それは哲学自体の形をも含む

新しい概念だけではなく、哲学が使う言葉の創造である

20世紀のフランス哲学における顕著な特徴として、哲学と文学との関係がある


(3)哲学と文学の関係

この問題を少し長い時間軸で眺めてみる

例えば、18世紀のヴォルテールルソーディドロは文学者であるとともに哲学者であった

17世紀のパスカルも文学と哲学のどちらに属するのかわからないし、20世紀のアランも同類だろう

20世紀前半には哲学者と超現実主義者が接触した

思想と形の創造、生活、芸術との新たな関係をお互いが模索していたのである


最初は詩的なプログラムだったが、50-60年代には哲学的プログラムが準備された

哲学自体が文学的な形を見つけ出さなければならなかった

すべての哲学者が独自の表現を求めたのである

フーコー、ドゥルーズ、デリダ、ラカン、サルトル、アルチュセール、、、

そして、哲学と文学が、概念と生の経験が混然一体となったような新しい表現法が創られた

そのことにより、文学的な生に概念が与えられることになったのである


そこから生まれた主体は、デカルトに由来する理性的で意識を持った主体でも内省的な主体でもない

もっと曖昧で、もっと生や体に結びついた、より創造的で生産的な、もっと大きな力を含んだものである

それこそが、フランス哲学が見つけ、表現し、考えようとしたものであった

そこで重要になってきたのが、意識よりさらに広大な無意識を発見したフロイトの精神分析である


(4)哲学と精神分析の関係

ということで、20世紀後半のフランス哲学は精神分析と議論することになる

それは20世紀初頭からの二つの流れに対応する

一つは、ベルグソンに始まる実存主義的生気論で、サルトル、フーコー、ドゥルーズに繋がる流れ

もう一つは、ブランシュヴィック、アルチュセール、ラカンの概念の形式主義の流れ

この二つの流れを跨ぐのは、概念を持つ存在としての主体である

フロイトの無意識が、まさにそこに関わってくる

哲学と精神分析との関係は愛を伴った共犯関係であると同時に憎しみを伴う競合関係になったのである


ここで3つのテキストを挙げてみたい

一つは、バシュラールが1938年に出した『火の精神分析』

ここでバシュラールは、フロイトに見られる性を夢に置き換えた新しい精神分析を目指した

二つ目は、サルトルがその最後で「実存的精神分析」を提唱した『存在と無』(1943)

この中で、フロイトの実証的な精神分析に対して、真に理論的な精神分析をぶつけた

サルトルにとっての主体とは、根源的なプロジェ、存在を創り上げるプロジェであった

三つ目は、ドゥルーズとガタリの『アンチ・オイディプス』(1972)

ドゥルーズは「スキゾ分析(schizoanalyse)」と呼ぶ新たな方法で精神分析を行うことを提唱したのである


バディウさんによると、「現代フランス哲学」のプログラムには共通の特徴が見られるという

第一に、最早概念と存在の乖離がなくなったこと

彼らは、概念が過程であり、出来事であり、創造であり、生きていていることを示したのである

第二に、哲学を現代の中に組み込んだこと

つまり、哲学をアカデミアから取り出し、生の中に循環させた

性的、芸術的、政治的、科学的、社会的な現代性の中に哲学を投げ入れたのである

第三に、知の哲学と行動の哲学との対立を捨て去ったこと

つまり、理論と実践の垣根を取り払ったのである

第四に、哲学を政治哲学を経由せずに、政治的な場面に置いたこと

 それは、政治について省察するだけではなく、新しい政治的主体を可能にするために「関わる」ことを意味した

第五に、主体の問題を再び取り上げ、内省的な主体を捨てたこと

意識に還元できない主体、すなわち心理学では解析できない主体を相手にすること

長い間フランス哲学のプログラムの半分を占めていた心理学を叩きのめすこと


そして第六には、文学とは異なる新たな哲学表現を創造すること

18世紀に続き、アカデミアやメディアを超える哲学者を再び創り出すこと

その表現と行動で現代の主体を作り変えることが、フランス哲学のプログラムであり、野心である

それは、哲学者を賢者以外の者にすること

瞑想と内省に明け暮れる教授然とした哲学者に別れを告げること

そして、彼らを戦う作家、主体の芸術家、創造を愛する者、哲学的闘士に創りかえることであった




samedi 22 décembre 2012

バディウさんによる現代フランス哲学


今日は朝から雨音が聞こえる

バルコンに出て、シガーとともに雨音を味わう

週末のラジオ・クラシックは語りが少なくなるので快適である

雨音の中で聴くヨーロッパの音楽

心が静まりかえる


先日のリブレリーでのこと

アラン・バディウAlain Badiou, 1937-)さんのこの本に目が行く

La Fabrique, 2012)

早速イントロを読んでみた

バディウさんが身近な哲学者をどう見ているのかがわかり、興味深い

バディウさんが分析するフランス現代哲学の特徴の中には、わたしの深いところにある願いと響き合うものもある


哲学の歴史を振り返ると、特に重要な「時機」が二つある

一つはパルメニデスからアリストテレスに至る古代ギリシャの時代

それからカントからヘーゲルに至るドイツ観念論の時代

バディウさんは、そこに「現代フランス哲学」を加えようとしている

現代とは20世紀後半から現在までを指し、指標として二つの作品と次のような人物を挙げている

サルトル存在と無』 (1943)

ドゥルーズガタリとの共著) 『哲学とは何か』 (1991)

この間にいる人として

 バシュラールメルロー・ポンティレヴィ・ストロースアルチュセール

ラカンフーコーリオタールデリダ

この周辺から現在に繋がる人として

ジャン・リュック・ナンシーフィリップ・ラクー・ラバルトジャック・ランシエール、アラン・バディウ



その上で、「現代フランス哲学」の特徴について次の4点から解析する

(1)起源、(2)哲学的活動、(3)哲学と文学の関係、(4)哲学と精神分析の関係

(1)起源

20世紀後半からの哲学の起源を考える場合、20世紀の初めに戻らなけれはならない

そこに二つの源流が見えてくる

一つは、1911年にベルグソンがオックスフォードで行った講演 『思想と動くもの』(後に出版)

もう一つは、1912年にブランシュヴィックが発表した 『数理哲学の諸段階』

ベルグソンが生命の哲学を志向したのに対して、ブランシュヴィックは概念の哲学を提唱した

生命と概念の対立がフランス哲学の中心的課題で、それが主体の問題に繋がって行ったのである

それは、人間が生きた体であると同時に、概念を生み出すからである

さらに源流を遡るとすれば、最終的には哲学的に主体を確立したデカルトに辿り着く

彼は物理的な体についての理論を打ち立てただけではなく、省察についても理論化した

つまり、物理学と形而上学に興味を持った人物であったことになる

事実、20世紀後半にはデカルトについての膨大な議論があった

(2)哲学的活動

次に、この時期にどのように哲学が行われたのかについて考えてみよう

第1の鍵は、デカルトの遺産とともにドイツ哲学についての議論である

例えば、コジェーヴによるヘーゲルのセミナーにラカンやレヴィ・ストロースが興味を示した

また、若き哲学者による現象学の発見がある

ベルリン滞在中にフッサールハイデッガーを読んだサルトル

 ニーチェが重要な哲学者だったフーコーやドゥルーズ

カントについて書いたリオタール、ラルドゥロー、ドゥルーズ、ラカン

何をするために彼らはドイツに向かったのか?

それは、概念と存在との新しい関係を探るためだったとバディウさんは言う

20世紀初めからフランス哲学の興味は生命と概念であった

両者の関係を新しい方法で解析できないかと考えたとしても不思議ではない


第2の鍵は、科学である

彼らは、単なる知の問題を扱う場合とは比較にならないほど広大で深いものが科学の中にあると考えた

科学を現象を明らかにするものとしてだけではなく、芸術活動にも匹敵する創造的活動のモデルとして捉えたのである

バシュラールが詩と同じように物理学と数学について考えたように


第3の鍵は、政治的活動である

この時期の哲学者のほとんどすべてが政治的問題を哲学しようとした

サルトル、戦後のメルロー・ポンティ、フーコー、アルチュセール、ドゥルーズ、

ラルドゥロー、ランシエール、クリスチャン・ジャンベ、フランソワーズ・プルースト、バディウ

彼らは概念と行動との関係を模索したのである


第4の鍵は、哲学を新しくすること

政治の現代化が語られる前に、哲学者たちは芸術、文化、習慣の変容を欲していた

哲学は抽象絵画、現代音楽、探偵小説、演劇、ジャズ、映画、性、生活スタイルに興味を持っていた

 と同時に、幾何学や論理学というような形式主義にも情熱を持っていた

 そこには概念と形の運動との新たな関係の模索が見られる

哲学の現代化を通して、哲学者たちは形の創造に繋がる新しい方法を探していたのである



(つづく)





jeudi 20 décembre 2012

日本はまだまだ貧しい国なのか


今朝もある言葉とともに目覚める

次第にパリのリズムに戻ってきたようだ

まだ暗いバルコンに出ると、しっかりと雨が降っていた



日本を発つ前日、わたしの歩みに興味を持っていただいている方とデジュネをともにした

見かけ上は発展しているかに見える日本

しかし、まだまだ貧しい国ではないのかという指摘があった

じっくり考える精神的な余裕もないまま暮らしている人が多いのではないかという見立てである

現代においては、どの「先進工業国」にも見られる傾向かもしれない

マス・メディアの堕落がそうであるように、それは程度問題になるのだろう

その傾向に横から揺さぶりをかけること

それがこれから大切になるのではないか

目に見えない激励をいただいたような気分でパリに戻ってきた



午前中用事があり、雨の中出かける

お昼から雨が上がり、カフェを数軒はしご

相変わらず減ることのない複数のテーマとともに過ごす




mercredi 19 décembre 2012

アン・リー監督の "L'Odyssée de Pi" を観る




今朝、ある一節とともに目覚め、すぐに書き写す

メールボックスにはシネマからの案内が届いていた

いつもは捨ててしまうのだが、今日は違った

そこでこの映画と出会った

今日が初日というアン・リ―監督(1954-)の 『ライフ・オブ・パイ』 (Life of Pi) だ

今日一日は閉じ籠る予定だったが、どこかで抜け出すことにした


"Making of" + Ang Lee à Paris +


オリジナル・バージョンは夜に割り当てられていた

特に期待するでもなく、平静の心でシネマに向かった

導入の音楽が気分にぴったりで、好ましい感情が湧く

3D映画は初めてではないはずだが、今回初めてスクリーンが小さく感じられた

強調したいものが浮き上がってくるので、横の広がりがなくなるように見えるためだろうか

それと漫画のようにも見える時がある

2Dで観た方がよいのではないかと思われる場面もあった


この映画には陸と海の生き物がふんだんに出てきて印象的だ

それぞれの生き物の間に境がなく、一体となっているように描かれている

主人公のパイとリチャード・パーカーとの間にある緊張感を除いては

動物に魂はあるのか

そんな問いも聞かれた

昨日取り上げたばかりのドパルデューGérard Depardieu, 1948- )さんの姿もあった


そして何よりも海の映像が美しかった

そこでも、海と人間と動物が一体になっている

この他、理と信の対立が織り込まれている

それは親子の対立でもあった

最後のメッセージは、生き残るためには信だけでは不充分で、理性を動員する必要があるということだったのか


ところで、嬉しい再会もあった

主人公のパイの家族が住んでいたのが、インドのフランス領ポンディシェリTerritoire de Pondichéry

French Colonial Empires

映像が本物であれば、美しい感じの良い町であった

この町の名前はひょっとするとあの町ではないかと思い、帰って調べてみるとぴったりであった

インドからフランスが顔を出す、そして春のときめき?(2010-03-18)

暫くご無沙汰していた旧友にでも会ったかのようで、なぜか嬉しくなる

一度訪れてみたい町になりそうである

最後まで気持ちの良い映画鑑賞となった




mardi 18 décembre 2012

一ヶ月の余裕で気が抜ける、そしてドパルデューさんのベルギー移住


昨日は朝から用事があり、外に出る

8時半でもクリスマス・ツリーの照明が眩しい

カフェで少し読んでから目的地に向かった



午後からは久しぶりの研究所

やはり落ち着く

自分のオフィスのように感じるようになってから久しい

原稿の締め切りに一ヶ月の余裕があることが分かり、気が抜ける

そうだとわかっていれば、この間心穏やかに過ごせたものを

ル・モンドには小熊英二氏 (1962-) による3・11を境に見えてくる日本の分析が紹介されていた

途中、激しい雨が降るも30分ほどで晴れていた

のんびりした時を過ごす



今朝ラジオをつけると、ジェラール・ドパルデューGérard Depardieu, 1948- )の名前が何度も出てくる

どうも税金対策のため、ベルギーの住民になったらしい

「わたしはヨーロッパ市民であり、世界市民だ」 と発言しているという

新しい住まいは、フランス国境に近いネシャン (Néchin

ウィキによると、彼の財産は100億円超で、このクラスの税率は75%にも及ぶという

それで議論になっているようだ


今、30周年を迎えるというラジオ・クラシックからドパルデューさんの声が聞こえた

「わたしはラジオ・クラシックしか聴きません」

わたしの嗜好とも通じる




dimanche 16 décembre 2012

改めてパリのカフェを味わいながら考えを纏める


 今日の夜明け

下の方がどんよりした茶色味を帯びた雲がゆっくりと北東の方角に流れていた

今日はどんな一日になるだろうか

そんな想いとともに不思議な朝焼け雲を眺めていると、静かな雨音が始まった

朝8時、昨日に比べて皆さんの目覚めが遅いようである

しばらくしてバルコンに出ると、これまでの雲がどこかに消え、晴れ上がっている

女心とパリの空

本当に変わりやすい

そこが気に入っているところでもある



 午後、締め切りが過ぎたばかりの原稿に取り掛かるため、レピュブリックに出る

メトロから地上に出ると、マリアンヌのモニュメントがいつになく光っている

また、レピュブリック広場を新しい姿に変えようとするプロジェが進行中


しばらく周辺を散策

リブレリーでアラン・バディウさん (Alain Badiou, 1937-) の本を見つけ、手に入れる

 それからサン・ドニあたりまで歩き、カフェに入る

これまでに訪れたどの町のカフェとも違う空気が流れているパリのカフェ 

もしパリにこの空間がなければ、一体どのように「仕事」をしていたのだろうか

彼らがどう感じているのかわからないが、わたしにとっては掛け替えのない場所になっている

今日のところ、まだ調子は戻っていないようだ
 


帰りにわが町の広場を通ると、この季節恒例の小屋が並び、人で溢れていた




samedi 15 décembre 2012

免疫学会講演に対する印象的な感想をいただく


今朝の夜明けは、予報を裏切る快晴

やっと気分が晴れそうな週末だ



先日、神戸で開かれた免疫学会で 「免疫を説明する」 という演題で話をさせていただいた

免疫学を哲学する、とでもいう内容である

このような話をする時いつも気になるのが、現場の科学者の反応である

科学者や科学という営みに何らかの刺激を与えることができないかという願いがあるからだ

哲学という領域に閉じ籠もっていたくはないということでもある


講演の後にコメントをいただいた武田昭様にお礼のメールを差し上げたところ、印象的な文章が届いた

インターフェースから語りかけたいという考えの持ち主にとって嬉しいメールであった

これからの研究者にとっても有益なメッセージが含まれていると考えたので、以下に転載したい

転載を許可していただいた武田昭様には改めて感謝したい


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メール拝受。ありがとうございます。   
神戸の免疫学会における先生の御講演、大変、感銘いたしました。
私は臨床医ではありますが、長らく、免疫学領域の研究に携わって参りましたので、免疫学の根幹が、いわば哲学的な発想に起源をもつことに、いかばかりかの理解を持つ人間ではあり、このたびの先生のお話に、とても魅了されました。
近年の、実利的・物質的な研究が隆盛を極めている日本の免疫学の現状を見ますと、ややもすれば、大局的・俯瞰的な視点が希薄になってしまっているのではないかと、危惧する者の一人です。
とくに、今の免疫学会における若い研究者の方々の発表の中には、細かい実験Dataは豊富ながら、しばしば、その研究の座標軸が判然とは見えず、したがって自分たちのおこなっている研究の位置づけに対する意識が(それゆえにパッションが)、なかなか伝わってこない場合も少なくないように感じています。
かつての日本の免疫学を推進してきた多田先生たちの世代、いわば研究者としての品格をもつカリスマ的な先達が、一線から姿を消していることも要因の一つかも知れません。
こうした変遷する時間軸の中で、今回、先生のレクチャーが、本学会で披露されたことは、大変意義深い歴史的イベントであると、実感しております。
私の浅薄な研究生活の中で、恐れながら、免疫学ならびに免疫学研究の、他の分野には見られない醍醐味は、その複雑性・多様性を包含するシステムの普遍性を求めるところにあるのではないかと、感じております。
そこに、人間的な、あるいは形而上学的な、思索というものの入り込む素地が存在するのではないかと思っております。
先生の御講演によって、日本において、さらに多くの若手研究者が、免疫学の、本来の魅力と、その広い影響力に開眼し、これからの本邦の真の免疫学の発展に参画し貢献してくれることを願っております。
先生のますますのご活躍を祈念いたします。
武田 昭 
国際医療福祉大学病院 アレルギー膠原病科
聖路加国際病院 アレルギー膠原病科*(非常勤)