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前回の滞在でも触れたが、パリから見えてくる日本の姿がネット情報、しかもマスメディアではなく、個人レベルのものに限られているためか、日本に戻ってマスメディアがごく自然に流れている空間に身を置くと、パリでの状態、すなわちネット情報だけで生きているのが異常にも見える。それを感じたのは、こちらの日常の中ではパリで触れていたネット情報には全く興味が向かわないからである。こちらの日常での自分の生活という具体的な要素がそこに加わっているためなのだろうか。どちらが真実に近いのかわからないという感覚である。自分にとっての健全な判断に至るには、おそらくその両方を考えに入れながら自らの頭で判断するしかないのかもしれない。
それと同時に感じているのは、こちらの現実の中にいるとパリでの意識の状態にまで深まりを見せないということである。日常の具体的な出来事を目にしてそれに対応している状態というのは、意識の極表層のところで反応しているにすぎないように見えるのだ。そのレベルより深く立ち入るには、日常的なものをある程度捨象する必要があるのではないか。そこまで入らなければ、自分の中にあるものにさえ気付かないで終わるのではないか。そんな想いとともに目覚める。
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