dimanche 21 juin 2015

フランク・ミシュランさんに渋沢・クローデル賞



昨年12月、ミシュランさんの博士論文審査会に参加して感銘を受けた



今朝、ミシュランさんご本人から嬉しいニュースが届いた

そのお仕事に今年度の渋沢・クローデル賞が授与されたとのこと

10年に及ぶ労作なので、ご本人ならびに奥様のお慶びもさぞかしではないかと想像している

以下に、読売新聞の告知記事を


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渋沢クローデル賞に明大特任准教授ミシュラン氏
2015年06月18日 18時26分
【パリ=本間圭一】日本とフランスに関する若手研究者の優れた著作をたたえる「渋沢・クローデル賞」(日仏会館・読売新聞社主催)の仏側審査会が17日、パリで行われた。32回目となる今年は、明治大学特任准教授フランク・ミシュランさん(45)の著作「太平洋戦争直前の仏領インドシナと日本の南進」が受賞作に選ばれた。著作は、日本が仏領インドシナに進駐した1940年以降の史実に基づき、緊張をはらんだ日仏関係を分析した。  
ミシュランさんは、パリ・ソルボンヌ大学で歴史博士号取得。専門は日本近現代史、国際関係史、軍事史。
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ポール・クローデルさんは駐日大使も務めた方で、彫刻家カミーユ・クローデルさんの弟に当たる

最初のブログに、クローデルさんに関する記事が見つかった





jeudi 18 juin 2015

種は7年前に蒔かれていた


この春から7年前の記事をじっくり読み返している

「じっくり」の意味は、新たな場所に記事を移す際に検討しながら読むということ

 これまで見直すことはなかったので、発見が多い

このところ驚いているのは、その後考えることになるテーマの芽が7年前に芽生えていたことである

フランスに来て1年目に当たる

例えば、




これからどんなものが出てくるのか、楽しみである





mercredi 17 juin 2015

パリから見えるこの世界 (29) 「風光明媚なブルターニュで、医学と人間の生における時間を考える」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 『パリから見えるこの世界』 第29回エッセイを紹介いたします

« Un regard de Paris sur ce monde »

(29)風光明媚なブルターニュで、医学と人間の生における時間を考える

医学のあゆみ (2014.6.14) 249(11): 1211-1215, 2014


ご一読、ご批判いただければ幸いです






dimanche 14 juin 2015

人生の核、それは精神の開閉運動のバランスか


前回のエントリーからもう1週間が経ったとは想像もできない

この感覚は以前にはなかったことだ

いま意識はどこか別のところに行っているのだろう


真夜中にバルコンに出て、シガーを燻らす

そうすると、全体が見えるようになる

机に向かっていても駄目なのである

この感覚はこちらに来てからのもので、何とも例えようのないくらい良いのだ


これまではこの世界に、この生に身を投げ出すように開いていった

いまはそこから身を引き、狭い世界に深堀りを進めているように見える

それはおそらく日本でやっていたことと通じるものだろう

まだ、そこに悦びを見い出すところまで行っていない

今やるべきことは、これまでやってきた中では避けるべきものだったからだろう


自分では全く意識されていないが、外から見れば6年や7年という時間はかなりの長さになるだろう

その間に開いた精神を元に戻すのは至難の業である

ただ、開いたところから戻るのと、最初から同じ世界にいるのとでは何かが違ってくるのではないか

それは目に見える形で現れるのか

二つの状態を同時に経験できないので、その答えを出すことはできない


これから大切になること

それは、対照的で相容れない精神の開閉のバランスをどう取っていくのかではないか

洞穴の中、そんな気がしている週末の夜である






dimanche 7 juin 2015

フリーマン・ダイソンさんによる心、そしてブログ10年


この春から7年前のブログを同時進行で読み直している

7年前の今日の記事の中に、当時ははっきりと意識されていなかったことが記されていた


それは、心に関するフリーマン・ダイソンさんの考えである

発表されたのは1985年、アバティーンでの Gifford Lectures においてであった

講演のタイトルは、Infinite in All Directions

その内容は、3年後に出版されている

 Infinite in All Directions: 
Gifford Lectures Given at Aberdeen, Scotland, April-November 1985


この中で、宇宙には3つのレベルの心の働きがあると記している

それぞれ、素粒子の世界、人間の意識の世界、そして全体としての宇宙である

原子の動きを見ていると、単なる無機物というよりは量子力学に則って選択をする主体性が見える

ダイソンさんは選択する能力を心として見ていることが分かる

宇宙も同様に、自然の法則の中で心を受け入れていると考えている

さらに、その心と神を同じものと捉えている

神とはわれわれの理解を超えた時に心が達するところのもの

すなわち、世界と心(あるいは心の集合)が一体になったものであると考えている

原子と人間、さらに宇宙あるいは神の心の間に質的な差はなく、あくまでも量的な差しかない

われわれ人間は、原子の予測不可能能性と神の予測不可能性との間にある

この考えは科学によって証明されてはいないが、科学の成果には矛盾しない

このようにダイソンさんは考えている

わたしの中でも親和性を増しつつある見方に近いので驚く

パスカルの 「二つの無限」 を想起させるお話でもある








このところ心に余裕がなかったせいか、気が付かなかったことがある

最初のブログ 「フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE」 を2005年2月16日に始めた

最初の記事は、「私は如何にしてフランス語にのめり込んでいったのか?-2001年春」 となっている

最近習慣となっている昔の記事を真剣に読み直す作業をやってみた

そこには現在に至る最初のエピソードが書かれてあり、そのことはいろいろなところで触れている

なぜかよく分からないが、フランス語に対してはその後も真面目に向き合っていた様子が窺える

当時からそのことを不思議に思っていたことを思い出す

そして、この僅か2年後にはフランスで学んでいようとは想像だにできなかった

況や、10年後にこのような生活をしていようとは、である

いずれにせよ、知らぬ間にブログというものを始めてから10年が経過していたのだ


ここまで続くとは思ってもいなかった

そうなったのは続けることが目的ではなく、日々の想いを紡ぎ出すことに集中していたからではないか

それが生きる上でのエンジンにもなったのではないだろうか

それと、最初の6年間にいただいたコメントにより活力を得、考えも深まったように思う

これからどうなるのかわからないが、おそらく呼吸するように書いていくのではないか

今はそんな感じがしている




vendredi 5 juin 2015

夏盛り


今日は朝から外に出た

ところが、少し歩くと汗が噴き出してくる

心挫けやすい季節である

この夏を乗り切ることができるだろうか

非常に心配だ


アパルトマンに落ち着いても、じわーっとくる

ネットの気温を見ると30度

暑いはずである


夜、日本のテレビ番組のビデオを観る

日本の日常が消えた中で観る伝統的な姿は、日本文化が極めて異質なものであることを教えてくれる

それは覗き窓から眺める風情で、そこに広がるのは不思議の世界である

日本にいる時には、それほどまでに特徴的な文化であると感じたことはなかった

このような経験を繰り返していると、その奥に一体何があるのかに興味が湧いてくる