この春から7年前のブログを同時進行で読み直している
7年前の今日の記事の中に、当時ははっきりと意識されていなかったことが記されていた
フリーマン・ダイソンを聴く Ecouter Freeman Dyson (2008-06-07)
それは、心に関するフリーマン・ダイソンさんの考えである
発表されたのは1985年、アバティーンでの Gifford Lectures においてであった
講演のタイトルは、Infinite in All Directions
その内容は、3年後に出版されている
Infinite in All Directions:
Gifford Lectures Given at Aberdeen, Scotland, April-November 1985
この中で、宇宙には3つのレベルの心の働きがあると記している
それぞれ、素粒子の世界、人間の意識の世界、そして全体としての宇宙である
原子の動きを見ていると、単なる無機物というよりは量子力学に則って選択をする主体性が見える
ダイソンさんは選択する能力を心として見ていることが分かる
宇宙も同様に、自然の法則の中で心を受け入れていると考えている
さらに、その心と神を同じものと捉えている
神とはわれわれの理解を超えた時に心が達するところのもの
すなわち、世界と心(あるいは心の集合)が一体になったものであると考えている
原子と人間、さらに宇宙あるいは神の心の間に質的な差はなく、あくまでも量的な差しかない
われわれ人間は、原子の予測不可能能性と神の予測不可能性との間にある
この考えは科学によって証明されてはいないが、科学の成果には矛盾しない
このようにダイソンさんは考えている
わたしの中でも親和性を増しつつある見方に近いので驚く
Infinite in All Directions:
Gifford Lectures Given at Aberdeen, Scotland, April-November 1985
この中で、宇宙には3つのレベルの心の働きがあると記している
それぞれ、素粒子の世界、人間の意識の世界、そして全体としての宇宙である
原子の動きを見ていると、単なる無機物というよりは量子力学に則って選択をする主体性が見える
ダイソンさんは選択する能力を心として見ていることが分かる
宇宙も同様に、自然の法則の中で心を受け入れていると考えている
さらに、その心と神を同じものと捉えている
神とはわれわれの理解を超えた時に心が達するところのもの
すなわち、世界と心(あるいは心の集合)が一体になったものであると考えている
原子と人間、さらに宇宙あるいは神の心の間に質的な差はなく、あくまでも量的な差しかない
われわれ人間は、原子の予測不可能能性と神の予測不可能性との間にある
この考えは科学によって証明されてはいないが、科学の成果には矛盾しない
このようにダイソンさんは考えている
わたしの中でも親和性を増しつつある見方に近いので驚く
パスカルの 「二つの無限」 を想起させるお話でもある
このところ心に余裕がなかったせいか、気が付かなかったことがある
最初のブログ 「フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE」 を2005年2月16日に始めた
最初の記事は、「私は如何にしてフランス語にのめり込んでいったのか?-2001年春」 となっている
最近習慣となっている昔の記事を真剣に読み直す作業をやってみた
そこには現在に至る最初のエピソードが書かれてあり、そのことはいろいろなところで触れている
なぜかよく分からないが、フランス語に対してはその後も真面目に向き合っていた様子が窺える
当時からそのことを不思議に思っていたことを思い出す
そして、この僅か2年後にはフランスで学んでいようとは想像だにできなかった
況や、10年後にこのような生活をしていようとは、である
いずれにせよ、知らぬ間にブログというものを始めてから10年が経過していたのだ
ここまで続くとは思ってもいなかった
そうなったのは続けることが目的ではなく、日々の想いを紡ぎ出すことに集中していたからではないか
それが生きる上でのエンジンにもなったのではないだろうか
それと、最初の6年間にいただいたコメントにより活力を得、考えも深まったように思う
これからどうなるのかわからないが、おそらく呼吸するように書いていくのではないか
今はそんな感じがしている
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