mardi 31 janvier 2012

やはり続かない集中




昨日の集中が続いていたのか、今朝もひとつの考えとともに目覚める

その先を続けるつもりだったが、なかなかその気にならない

集中し過ぎてもう反動が来たのか

やはり長続きしない集中である

そもそも生産的にはできていないようだ

冒頭の写真の主が他人に見えない

今日の時間はもう少し残っている

どうなるのか様子を見ることにしたい

それにしても、もうひと月が終わるとは






lundi 30 janvier 2012

久し振りに集中



寒い日が続いている。

アイディアとともに目覚めたためか、朝のうち珍しく仕事をする気になる。

それが終わったところで雑用のため外出し、そのまま街へ。

カフェ3軒とリブレリー2軒。

その間にコレージュ・ド・フランスが入った。

スタートがよかったせいか、充実した一日だった。

残念ながら、こういう日は滅多にない。



dimanche 29 janvier 2012

ジャズは哲学的、あるいは哲学なき生活は誤りか?



今朝のラジオからこんな言葉が聞こえた

音楽と哲学がテーマの音楽番組だ

現実とは何か

絶対的なもの、真実とは

そこに迫るにはどんな道があるのか

こんな問を出しながら話し合っている

しばらくすると自由と決定論の話が出てきて、この4月と繋がっていることを感じる

実存的な問を抱えた音楽家が出てくる

彼らは思想家、哲学者だ、との声も聞こえる

心を空にしてその音楽の中に入ってみる

確かに、瞑想に誘うところがある


哲学するとは?と聞かれて、問題の奥深くまで行くことを決意することだ、と答える人がいる

心と体の間に横たわる問題の解を探ることだ、という答えもあった

人生の意味、瞑想と共にある人生



"La vie sans musique est une erreur."

音楽なき生活は誤りである、と言ったのはニーチェだろうか

番組はこの言葉で終わっていた

"La vie sans philosophie est une erreur."


重苦しい番組に聞こえるかもしれないが、実に軽快なテンポで話は進んでいた

今日取り上げられていた哲学者の音楽を中心に聴いてみたい



















samedi 28 janvier 2012

テセウスの船 Bateau de Thésée



今週、目と耳から数度入ってきた言葉が今日のタイトルになった。

テセウスの船 

Bateau de Thésée

Ship of Theseus


部分が置き換わった全体は、前の全体と同じものか、違うのか。

プルターク (46?-120) がテセウスの人生を記述した中で、この問いを投げかけた。

これはテセウスの船だけではなく、いろいろなところに当て嵌めることができる。

そもそもわれわれの存在自体がテセウスの船ではないか。

感知はできないが、物理的には日々変容している。

昨日の自分の部品が入れ換わった今日の自分は、昨日と同じ自分なのか。

より具体的には、フランスで行われている顔面移植の話を新年早々に読んだ。

顔が変わった自分は以前の自分と同じなのか。

精神の中身はどうだろうか。

長い目で比較すると、確かに変わっている。

短いスパンでは注意深く観察しなければ、変化は見えてこない。

これらの変化により、過去と現在の自分は違うと言えるのか。

最早、自分という言葉は使えないかもしれない。

そもそも自分など存在するのだろうか?

確かに、免疫学的なアイデンティティを規定する蛋白質は存在する。

しかし、それだけが残ったからといってアイデンティティは保たれているなどと言えるのだろうか。



何気なく始めたが、この船の底は相当に深そうだ。



vendredi 27 janvier 2012

やっと晴れ上がり、気分も晴れる



やっと晴れ上がってくれた。

気分もすっきり、午後から用事を済ますために街に出る。

終わってからはカフェで読んできた。

テーブルの上に置かれた本を見て、お店の方が話し掛けてきた。

この人の本面白いですよね、と言って他のものも紹介してくれた。

先日飲んだ薬の効き目には期待できないかもしれない。



昨日のセミナーで2年振りにマスターの時に一緒だった学生さんと会っていたことを思い出す。

マスターを終わった後、オックスフォードでアシスタントになったことまでは知っていた。

その後、第一希望だったオーストラリアの大学のドクターコースに入っているという。

僅か5日のパリ滞在とのこと。

全くの偶然なのか、決められていたのか。

4月の会のテーマが頭のどこかにあるようだ。



jeudi 26 janvier 2012

科学の普及、あるいは何を伝えるためにどう話すのか


Dr. Marc Daëron (Institut Pasteur)


相変わらずのお天気である。

今日はマルク・ダエロンさんのお話を聴きに出かける。

こちらに来る切っ掛けになる言葉が、東京を訪れていた彼の口から出たのはもう7年前。

そんなに前になるという感じは全くしない。

今日のお話は善玉にも悪玉にもなり得る抗体について。

流れるように進み、終わった。





急流のようなお話が終わった後、写真右のアン・マリ―・ムーランさんからコメントが出ていた。

科学の内容を一般の人に普及しようとする時、どのようにやるのが理想的なのか。

何を伝えるために、どこまでの内容を、どのような言葉使いで話すべきなのか。

難しい問題である。

研究はされているのだろうが、わたしにはよくわからない。

あくまでも自己流でやってきたというのが、偽らざるところだ。

現場の科学者もそれぞれのやり方でやっているのが現状ではないだろうか。

この辺りの問題はこれから益々大切になりそうである。



会の終了後、デジュネにお供した。

ここでは物理学の哲学をやっている方と一緒になり、貴重な情報を得ることができた。

彼は大学の物理学科所属で、哲学科の人はハイデッガーを読んでいるとのことだった。

フランスでも哲学をどう浸透させるのかが問題になっているようである。

深く考える時間がなくなる社会構造とその営みに価値を置かない社会の風潮。

国により程度の差はあるだろうが、この特徴は世界的な現象なのかもしれない。

この流れに抗することはできるのだろうか。



mercredi 25 janvier 2012

まさに夢のような夢



依然として、曇り時々雨のパリである。

一体いつになったら晴れ上がってくれるのだろうか。



ところで今朝のこと。

あるメッセージが Gmail で届いた。

早速、本文を読んでみると、こう書いてある。

「会を開いたものにするためには、少なくとも英語、できればフランス語でやるべきでしょう」

何のことについてのメッセージか、すぐにわかった。

先ごろ案内を出した 「科学から人間を考える」 試みのことである。

差出人が3名の連名になっていて、転送した跡がある。

その名前を見て、驚く。

ル・クレジオエドガール・モランピエール・アドーの御三方なのだ。

確かに、日本語に限定することなど何もない、と納得。

それにしても一体どうしてこの御三方が・・・と不思議がっているところで、目が覚めた。







何故こんな夢のような夢を見たのだろうか。

ひょっとすると、昨日の帰りのカフェで集中して読んだ本と関係があるのかもしれない。

手に入れたばかりの言語による文化の支配について触れてあるものだった。

おそらく、これが影響したのだろう。

しかし、あの御三方がどうして、という疑問が残る。

モランさんアドーさんはこれまで何度も取り上げているのでわかる。

しかし、ル・クレジオさんとの接点は全くない。

また謎を一つ抱えてしまった。




mardi 24 janvier 2012

艾未未という人間




昨夜、ニューヨークタイムズのサイトに入ると、この方が動画で取り上げられていた。

艾未未Ai Weiwei, born 18 May 1957)



波乱に富んだ人生を歩んでいる中国人芸術家だ。

昨年6月にニューヨークを訪問した折、セントラルパーク・サウスで彼の作品に出遭っていたことを懐かしく思い出す。




この機会に彼がどういう人間なのかを覗いてみることにした。








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19 février 2012


上のビデオでも出てくる事件の後と思われる生々しい姿を街で見かける





lundi 23 janvier 2012

いつまでも飛んでいたい人のための処方箋



今日も曇り時々雨

寒さが厳しくない分助かるが、気分は晴れない

久し振りに研究所へ

始める前に手に取った本に興味を引くところがあり、読み進む

それから本番用の本を取りに行く途中、気になる本が視角の端から入ってくる

少し覗いてみると、それまで読んでいた話題が更に詳しく書かれている章があり、本当に驚く

そちらも読むことになった

結局、予定には手を付けることなくコレージュ・ド・フランスへ

先週同様、終わってからカフェで振り返ってから帰って来た





このような日常を見ていると、時間の使い方を少し考え直さなければならないかもしれない

「いま・ここ」 に集中していると、学業が後回しになる

未だに空を飛びたいため、興味の向くままどこかに行ってしまうからだ

行かないまでもそちらが気になって肝心なところに手が付かないのだ



どうしても空を飛びたいなら、その気持ちを抑えることなどないのではないか

そんな声が聞こえた

少し長いスパンで見直してみると違うやり方が浮かんでくる

例えば、来週は思う存分飛んでもよいから今週は学業に集中してみては

と、そっと囁いてみるのだ



5年目にしてやっと思いついたいつまでも飛んでいたい人向けの処方箋

効き目はさっぱりわからないが、しばらくこの薬を飲んでみることにしようか

主義に反して



dimanche 22 janvier 2012

どんよりとした一日、30年前の日本を観る




今日もどんよりとした曇りの一日

こちらの精神もどんよりとしたまま

完全休養とした






午後、わたしがまだアメリカにいた時の番組に行き着く

みなさん、お若く血気盛んだ

教育やマスメディアの問題が出てくる

すでに30年前から多様な価値の選択に箍が嵌められている様子が伝わる

「自由」 という言葉が力を込めて語られていることに驚く

大切なのは、決めつけずに 「もの・こと」 それ自体を目を開いて観、語ることに尽きるのか



30年を経てさらに窮屈になり、熱が失われているように感じる

指摘されている問題の根底には哲学的営みの欠如があるように見えてくる

そう感じるのはわたしだけだろうか



samedi 21 janvier 2012

「哲学の二つの道」 再び、ミシェル・オンフレさんの場合


曇時々雨の日が続いている。先日のリブレリーでミシェル・オンフレさん(1959-)の最新本を読む。カミュ(Albert Camus, 1913-1960)とサルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)の対立を取り上げ、サルトルに賤しめられたカミュの復権を熱く語っている。冒頭には ニーチェのこの言葉が引用されている。

J'estime un philosophe dans la mesure où il peut donner un exemple.

「わたしは一つのモデルを示すことができる人間を哲学者と見做す」


この本の中でこれまでに何度か取り上げた哲学の二つの流れについて、別の角度から説明されている。オンフレさんによると、こうなる。哲学にはデンマークとプロセインの二つ流れがある。前者はキェルケゴール (Søren Kierkegaard, 1813-1855) の生きることと関連した哲学で、後者はヘーゲル (Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-1831) に代表される理性や体系を重んじる哲学である。キェルケゴールの流れにカミュがいて、ヘーゲルの流れにサルトルを位置付けている。オンフレさんはもちろんカミュ派である。

キェルケゴールの流れは古代哲学と同質のものを求めている。人生に意味を求めている人に対して、アイデンティティを確立し、自己を創造するために必要となることを考える。したがって、哲学を若者や専門家ではない人に伝えようとする、分かち合おうとする。読まれ、理解されるために書こうとする。明晰な言葉と簡潔なスタイルで。モンテーニュデカルトディドロオーギュスト・コントベルグソンバシュラールの系譜に当たる。

一方のヘーゲルの流れは思想の可能性や知の形式に注意が向かう。その過程で世界の多様性、生命力とその開花が抑えられる。一歩下がって現実を概念の枠の中に入れようとするからだ。でき上がった城は巨大だが、そこに人は住めないのだ。カントに始まるドイツ観念論やプロセインの大学は難解な世界を作り、易しい言葉で書かれたものを表面的だと見做した。この流れに抗して、カミュは自らを哲学者と呼ばなかったのである。サルトルの600ページに及ぶ 「存在と無」 を一体誰がすべてを読み、理解できたと言うのか、とオンフレさんは問うている。

最初のブログでも触れたショペンハウアーの 『パレルガとパラリポメナ』 にあるように、哲学教師は哲学で生きるが、哲学者は哲学を生きる。そのどちらかである。教師は他人の思想を分解し、料理し、講堂で繰り返し吐き出す。時間割に従順に従う公務員のように。哲学者はよりよく生きるために考える。行動を考え、読み、瞑想し、書く。オンフレさんはカミュこそ哲学者の名に値する作家だと言いたいようだ。

太陽のもと新しきもの・・・ RIEN DE NOUVEAU SOUS LE SOLEIL ? (2005-12-30)


この本は今年初めのル・ポワンでも12ページに亘り特集されていた。
オンフレさんはいつもセンセーションを巻き起こす方のようである。




vendredi 20 janvier 2012

エタ・ジェームズさん亡くなる





ジャズシンガーのエタ・ジェームズさん (Etta James, 1938-2012) が73歳で亡くなったことを知る。エタ・ジョーンズさん (Etta Jones, 1928–2001) は好みの歌手だが、ジェームズさんは初めてになる。wiki によれば、ジェームズさんの方が知られているらしい。

La chanteuse noire américaine Etta James, grande dame du jazz et du blues, est décédée vendredi à Los Angeles à l'âge de 73 ans.







この機会にジョーンズさんの歌も聴いてみたい気分である。












jeudi 19 janvier 2012

サンソネッティさんのお話を聴く



午後からサンソネッティさんのお話を聴きに、コレージュ・ド・フランスへ。

いくつかの講義が終わったところだったのか、入口が混み合ってなかなか入れない。

こういう経験はこれまでになかったように思う。

新年が明けてすでに2回の講義が済んでいて、今日は4回目であった。

終了後、いつものようにここの教授をしていたシャンポリオンさん(1790-1832)の像を味わってから、小雨降る街へ出た。




Jean-François Champollion
par Frédéric Auguste Bartholdi (1834-1904)



久し振りのリブレリーで1時間ほど過ごしてから帰って来た。

今日も面白いものに出会った。

最近は興味が天空に向かっているようだ。




mercredi 18 janvier 2012

ジャン・フランソワ・ヴォートランさんが描くアメリカ


Le plein ! 2011

Jean-François Vautrin
(né le 3 août 1947 à Nancy)



ジャン・フランソワ・ヴォートランというナンシー生まれの画家が描くアメリカの景色

ヨーロッパのカフェとは全く異なるダイナーの雰囲気

どこまでも乾いた中に哀愁のようなものが漂っている

彼のサイトを開けると流れてくる音楽とともにアメリカのことを思いながら味わう





Scopitone 2010




C'est prêt ! 2010




Sundles Cokes 2011




Three friends 2010



The Spider 2010




The Silver diner 2011




Désolé, je n'ai plus de bacon ! 2010




Stan's 2010




Stop à Dallas 2011





mardi 17 janvier 2012

第2回 「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (2)



第2回 「科学から人間を考える」 試みを以下の要領で行います。

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。

案内パンフレット


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「科学から人間を考える」 試み

The Second Gathering 'SHE' (Science & Human Existence)

第2回のテーマ

「科学の決定論と人間の自由」
この世界で起こる現象はランダムなのか。あるいは、アインシュタインが神はサイコロを振らないと言ったように、ある規則に従って動いているのだろうか。今回は科学における決定論を取り上げ、人間の自由、自由意志の存在、道徳的責任についても併せて考えます。講師がこの問題について40分ほど話した後、約1時間に亘って意見交換をする予定です。

会の詳細、参加方法などは以下のサイトをご参照いただければ幸いです。

日時: 2012年4月17日(火)および18日(水) (いずれも同じ内容です)

午後6時20分~午後8時

定員: 両日とも約15名

会場: カルフール会議室 Carrefour

東京都渋谷区恵比寿4-6-1恵比寿MFビル





lundi 16 janvier 2012

クリルスキーさんのお話を聴く


Pr. Philippe Kourilsky (Collège de France)


今日は午後から外出。
メトロで読んでいたものをそのままカフェで読む。
比較的集中できた。

それからクリルスキーさんのお話を聴きにコレージュ・ド・フランスへ。
10分ほど前だったが、すでに満席。
このシーズンが最後になるとお話があったので、その影響かもしれない。
後ろで立って聴くことになった。
初めてのことである。

帰りにカフェに寄り、今日のお話を反芻してから帰って来た。



dimanche 15 janvier 2012

「哲学は楽しいものなのです」 (ヒラリー・パトナム)




昨夜はヒラリー・パトナムさん (1926-) の85歳を記念したシンポジウムを少しだけ見る。

全く衰えないその柔らかい頭脳と、確かに 「よく笑う哲学者」 であることを確認。


哲学にはいろいろな使命があるが、プラトン以後の哲学には二つの側面がある。

一つは道徳的、人間的な生活に関わるもの、もう一つは理論面である。

どちらか一方が欠けても 「こと」 を間違える。


そして最後に、こんなエピソードを出していた。

ソクラテスの最後に立ち会った男がこう言ったという。

「ソクラテスは死の床にいる。にもかかわらず、彼と哲学を語り合い、楽しい時を過ごした」

つまり、哲学は fun なのです。このことを忘れないようにしましょう、と言って話を終えた。



この話もどこかで昨日と繋がっているところがある。

興味をお持ちの方は以下のビデオを。

後半に彼が登場する。

"Philosophy in an Age of Science"




samedi 14 janvier 2012

ジャン・ジャック・ルソー生誕300年、あるいは科学・技術と自然


Jean-Jacques Rousseau
(28 juin 1712 à Genève - 2 juillet 1778 à Ermenonville)


まだ正月は開けていないようだ。新年のルクセンブルグで手に入れた雑誌がどこかに引っ掛かっているからだろうか。ル・ポワンで今年がジャン・ジャック・ルソーの生誕300年(Tricentenaire)に当たることを知る。昨日の記事に石もて追われたルソーが出てきたが、何という微かな繋がりだろうか。学生時代に 「エミール」 や 「告白」、後年 「孤独な散歩者の夢想」 や最近日本の古本屋で見つけた「言語起源論」 などに触れている。また、フランス革命の恐怖政治に影響を与えたとして、理性を重視する立場からの批判があることには気付いていた。しかし、全体としてどう捉えたらよいのかには目が行っていなかった。いずれにしても今のわたしと直接の繋がりはなさそうなので、読むにしても先になるだろうと思っていた。「悲しき熱帯」 や 「野生の思考」 のクロード・レヴィ・ストロースさん(1908-2009)がわれわれの師であり兄であると書いているジャン・ジャック。ル・ポワンの記事では、ルソーが年々若返っているかに見える訳を3つのカルフールで説明している。

一つ目は平等の政治だ。彼の場合、平等を理想として謳い上げるだけでは満足せず、不平等の根にある腐敗したものは消し去らねばならないと考えていた。彼が特異なのは、平等と普遍を結び付けて考えていたことである。社会の不公正、専制的な権力、欺瞞に満ちた習慣などに順応しながら見せかけの真理を説く哲学者を彼は許すことはなかった。彼にとって、このような偽物の思想家は法螺吹き、詐欺師以外の何物でもなかったからだ。大切にしていたのは、何を置いても心の誠実さであった。

二つ目のカルフールは、技術に対する警戒だった。彼こそ、自然の立場から科学・技術を批判した最初の人間ではないだろうか。理性や科学が進歩を齎し、それが人間の幸福に繋がると考えていた啓蒙時代において、大胆にも不信の声を挙げたのである。このような希望と熱狂で一色に染まる社会に対して、彼は敢然と疑念の反旗を翻したのである。ただ、彼のことを科学の敵で自然の友、高度の技術を拒否し、単純な道具は受容する人間として見ると間違うだろう。すべてのものに両面があるように、技術にも良い面と悪い面があること、盲目的な一面的思考から離れ、その都度両面を吟味しなければならないと言いたかったのではないか。ここで指摘しなければならないことは、彼が科学の進歩と道徳の進歩の乖離を見ていたことだろう。当時、科学と道徳は手に手を取って歩むと信じられていた中でのことである。知識が増えても人間的にはならず、安楽と力と健康を得ても必ずしも正義や連帯が生れる訳ではない。彼は理性と心情とが違うことを見ていたのだ。

そして、最後のカルフールが心の声である。他の哲学者が理性、意識、身体、精神などと語る時、彼は心こそ自然の声を直接聞くことができる場所であると考えていた。まず、痛みを抱えた他者に対する、考える以前に自然に生まれてくる憐みの心(la pitié)。「自然人」 (l'homme de la nature) は心が語りかける声を決して聞き間違えないが、自然から離れ変質した 「人間人」(l'homme de l'homme) だけがその声に息苦しくなり、冷酷にもエゴイズムと無関心に陥ることになる。

先日の記事で、われわれの脳は汲めども尽きぬ泉ではないかと書いた(2011-12-27)。しかし、ルソーはわれわれの心にある感情こそが汲めども尽きぬ力の源泉であると主張しているかのようだ。上の三つのカルフールから現在の状況を見渡してみると、石もて追われたルソーが極めて現代的な思想家に見えてくる。



彼が生れたジュネーヴでは、この機会に催し物を用意している。

2012 Rousseau pour tous



vendredi 13 janvier 2012

クロディーヌ・ティエルスランさんの目指す形而上学




再び、ルクセンブルグからの車中で読んでいた雑誌の一つを取り上げてみたい。昨年、コレージュ・ド・フランスの哲学教授に選ばれたクロディーヌ・ティエルスランさんのインタビュー記事である。

彼女については、以前にここで触れたことがある。そこには、フランス哲学からは離れて見える領域を専門とする彼女が選ばれたことで問題視する声が上がっていること、それから彼女の掲げる 「科学的実在論的形而上学」 なるものの意味するところに、わたし自身が興味を持ったことなどが書かれている。ル・モンドの記事を読んでのものだった。



今回のインタビューは雑誌ル・ポワンの特集号に出ていたもので、彼女の営みがこのように紹介されている。
現実は物質だけなのか。精神の性質とは何か。これらの形而上学的問についてフランス哲学は沈黙したままである。その沈黙を破ろうとしているのがクロディーヌ・ティエルスランさんである。彼女は正義、道徳、論理だけではなく、ニューロン、原子などという形而上学にとっては新しいテーマを取り上げ、知の間にある障壁を取り除こうとしている。すべての現実について哲学は厳密さを以って探求する義務があると彼女は主張している。

力強い紹介である。次に、彼女の発言を聞いてみたい。
わたしの講座を「知の形而上学と哲学」と名付けました。コレージュ・ド・フランスに「形而上学」という名前が入ったのは初めてです。それがなかったのは、これまでの哲学者がそれを自然にやっていたからではないでしょうか。エミール・メイヤーソン(Émile Meyerson, 1859-1933 )が言ったように、われわれは「あたかも呼吸するように」形而上学をやっています。形而上学とは存在するものについての解析、つまり存在一般についての科学です。例えば、ものの性質、時間、空間、精神と身体の関係などの。

コレージュ・ド・フランスの教授に選ばれた時に巻き起こった抗議について聞かれて、こう答えている。
あなたの話を聞いていると、群衆がわたしの当選に怒りの声を上げるために街に繰り出したように聞こえますが、ご安心ください。モーティエのルソー(1712-1778)のように小石を雨あられのように投げられてはいません。また、イギリスのデイヴィッド・ヒューム(1711-1776)邸に亡命しなければならないという状態でもありませんでした。コレージュ・ド・フランスの選考は一般大衆の希望に必ずしも一致するものではありません。それはむしろ健全な状態です。アンリ・ベルグソン(1859-1941)もエティエンヌ・ジルソン(1884-1978)も選ばれた時には大衆に良く知られていたようにはわたしには見えません。

コレージュ・ド・フランスには時代の好みに逆らうという役割もあるのです。フランソワ1世がコレージュ・ド・フランスを創設したのは、ソルボンヌの保守主義に対抗するためだったのではないでしょうか。わたしはフーコー(1926-1984)、デリダ(1930-2004)、ドゥルーズ(1925-1995)に連なるフランス思想の典型的な代表者を選ばなかった教授会に感謝しています。もちろん、わたしはイギリスの哲学を近くに感じています。しかし、あまり良く知られていませんが、フランスの哲学にも合理主義の素晴らしい伝統があるのです。わたしが霊感を得るのはむしろそちらの方です。




中世の哲学者に興味を持つ理由について
中世への興味を強調したのは私が最初ではありません。1989年にパリ第一大学に来てアベラールPierre Abélard, 1079-1142)やドゥンス・スコトゥスJean Duns Scot, John Duns Scotus, 1266-1308)の講義を行った時、少しだけ孤独を感じたものです。フランス語訳ではなく、ラテン語やドイツ語訳のテクストにしばしば当たらなければなりませんでした。しかしそれ以来、中世哲学の研究は爆発的に発展しました。フランス語圏には、アラン・ド・リベラ(Alain de Libera, 1948- )、クロード・パナッキオ(Claude Panaccio, 1946- )、シリル・ミション(Cyrille Michon)というような才能あふれる人がいて、幸いなことにすべてが研究専門の職を選ばず、大学で教えています。中世がわたしにとってのモデルであるのは、厳密さの技術、反論と反応によって進む議論の対立が形成されたからです。

彼等がよく議論していた「普遍」の問題を例にとりましょう。普遍とは何か。いろいろなことについて言えます。例えば、机や布が白いなどと言う場合の白色。問題は、この白色、あるいは正義、美などが一体どのような性質であるかを知ることです。この普遍性が個別のものに実際に存在するというのが実在論(réalisme)の立場で、わたしの立場でもあります。もう一方は、概念、言葉、言語の約束事にしか過ぎないとするのが唯名論(nominalisme)の立場です。

中世には、例えばドゥンス・スコトゥスのように実在論に近い非常に緻密な議論があります。普遍の問題には言葉、概念、「もの」の三角関係があり、最近の知の理論と形而上学の中心課題です。わたしは、論理学、物理学、形而上学のレベルにおける現実(実在)と言えるものが何なのかという問題に再度挑んでいます。

イギリスの哲学とフランス哲学との乖離について
17世紀からイギリス思想と所謂大陸の思想との間に断絶があります。それはジョン・ロック(1632-1704)や経験主義者まで遡ることができます。しかし、この断絶は実質的なものというよりは見掛け上のものでしょう。ヒュームルソーを読み、フランス人はロックを読んでいました。状況が変わったのはハイデッガー(1889-1976)がフランス人のモデルになった時ではないかとわたしは考えています。

哲学のやり方について
哲学は知に関わるすべての営みと同じように、科学的になり得るし、そうでなければならないと考えています。科学は物理学者や生物学者のためだけのものではありません。哲学においても(科学的)探究の精神状態のなかで、誤りに注意し、方法を選びながら仕事ができます。その上で、わたしは科学が「もの」の実在が何から成っているのかについて発言する時、科学が最上位に来ると考えている科学主義者(scientiste)には反対します。もちろん、科学知や現代の発見については知っていなければなりません。だからと言って、科学に騙されていてはいけないのです。

この発言が一つのポイントだろう。彼女が「科学的」と敢えて銘打った形而上学の行く先が示されているように見える。さらに、哲学と科学がそれぞれの優位性を争うのではなく、お互いが同じ平面に乗って、この世界の現実について語ることが大切になるだろう。ただ、そのためにはお互いが相当努力をしなければならないことも、また確かである。それぞれの枠の中で満足してはいられないからである。


社会的、道徳的問題、さらに昔の哲学者のテーマだった「幸福」の問題について
わたしの仕事において倫理的、社会的次元は中心的な位置を占めていないかもしれませんが、常にそこにあります。われわれの行動をよりよい方向に導くことのない思想に時間を割く意味はないでしょう。コレージュ・ド・フランスの最初の講義は「知の価値」を取り上げ、知の社会的価値について検討して終わりました。次回のテーマは、可能性として「もの」に備わっている性質(dispositions)と情緒の関係についてです。

現在、快楽と苦痛の関係についても研究しています。幸福に対する哲学的研究は膨大なものがあります。しかし、ここでも現代科学、特に神経科学の成果には注意深くなければなりません。幸福というようなテーマでよく起こることは、ナンセンスなことをたっぷりと話したり、当たり前のことを敢えて説明しようとすることです。そこで満足することはできません。

思想と行動との結び付きという点も大切になる。哲学が内に含む大きな要素ではないかとも思う。倫理とは行動の哲学である、と言い換えた時、抵抗なく倫理という言葉がわたしの中に入ってきた。こちらに来てからの話である。科学的に哲学を進めながら、そのベースに社会的、倫理的な視点を保っておくことが欠かせないのかもしれない。





彼女の考えている先はぼんやりと見えてくる。しかし、その輪郭を掴むためには、以前に読み始めて頓挫している Le Ciment des choeses : Petit traité de métaphysique scientifique réaliste をさらに読み進めなければならないだろう。すぐにその時間が取れるとは思えないのが残念である。




jeudi 12 janvier 2012

哲学のレース



昨日、ハンモックの古い記事を読んでいた。

そこで、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインさん (1889-1951) のこんな言葉を見つける。

これが本当なら、科学との違いを明確に表している。

それ以上に、どこかホッとする嬉しい言葉ではないか。



「哲学のレースで勝つのは、いちばんゆっくり走ることのできる者。

つまり、ゴールに最後に到着する者だ」


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一夜明けてこの言葉を見直すと、少し違った姿が表れてきた。

哲学のレースとは、いちばん長い間走らなければならないのだ。

つまり、最後まで。


速く走り、吐き出すような言葉の溢れる現代。

この営みが難しい訳も見えてくる。






mercredi 11 janvier 2012

ハイデッガーさんの 「科学は考えない」 を考える



„Die Wissenschaft denkt nicht.“

「科学は考えない」


マルティン・ハイデッガーさん(Martin Heidegger, 1889-1976)の有名な言葉だ。フランス語で読んでいるので、わたしの頭の中では « La science ne pense pas. » となっている。まず、ハイデッガーという哲学者については強烈な思い出がある。哲学などは全くの白紙の状態にあったわたしの最初の仏語版ブログ DANS LE HAMAC DE TÔKYÔ に、「あなたは現象学やフッサールやハイデッガーなどの哲学者を愛するために生れてきたのです」という御宣託が届いたからだ。それ以来気になっているが、いずれについても手付かずの状態になる。詳細は以下の記事にある。



この週末、最初が何だったのかは思い出さないが、以下のビデオに突き当たった。それを観てみると、ハイデッガーさんが語っていることがわたしの中にできつつあるイメージと近いことがわかる。彼は語る。
今日、思想が欠如している。それは存在(についての問)を忘れていることと相関している。フライブルグで「科学は考えない」と発言した時は騒動になった。その意味は、科学が哲学の次元で動いていないということである。しかし、科学は哲学と結び付いているのである。
その例として、物理学における時間、空間、運動を取り上げ、科学としてはこれらの問題について考えないとしている。生物学を例に取れば、生物学が生命については考えていない状況と同じだろう。その上で、この発言は科学を批判するためのものではなく、科学というものに内在する構造を指摘したものにしか過ぎないと断っている。それは彼が技術に対して反対の立場を取っていると誤解されていることについても釘を刺していることと重なる。そして、こう続ける。
科学は哲学が考えることに依存しているが、そこで考えることが求められていることを忘れ、無視する。それが科学の特質である。

科学者の頭の中に、ここで指摘されていることが欠落していると感じることが多くなっている。それは逆に、わたしが科学から遠ざかりつつあることを示しているに過ぎないのかもしれない。インタビュワーの「大部分の人はすべてを科学に任せている」という言葉は、おそらく当たっているのだろう。科学を打ち出の小槌として見ている限り、そうならざるを得ないからだ。

科学が生み出すものや事実はわれわれの想像を超える。しかし、それだけでは不十分だという考えがハイデッガーさんの中にあるのではないだろうか。科学が「考える」のは、特定の対象に向けてある方法を使った時のことに限定されている。そのため、しばしばそこで扱われている「もの・こと」そのものについての思索へとは向かわない。つまり、考えていないのである。科学が考えない領域について考えるのが哲学の一つの役目であり、それなしには十全な科学知は生れないと彼は考えているのではないだろうか。自然科学の力が巨大になってしまった現代だからこそ、考えない科学を取り巻く考える別の科学の関与が益々重要になるだろう。


6年前にフランスから届いた御宣託と少しだけ繋がったような気分である。












mardi 10 janvier 2012

現世の動きにも注意を



今日は午後からお話を聞くため銀行へ。世界の厳しい現状が他人事には聞こえない。すべては繋がっているのだ。銀行に行くといつも現世に引き戻される。危険を冒してまで大胆に攻める性格から一歩下がって慎重な性格へと変更しなければならないだろう。わたしではなかったところから本来の状態に戻ればよいだけの話なのだが、、。

久し振りのカルティエ。リブレリーでは現世の状況を知りたくなり、大統領選を視野に入れたフランスの現状分析から今後の選択を扱ったものを手に入れる。少しずつ浮き上がりつつあるのだろうか。


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「パリから観る」 2008.2.5 の記事から


アメリカ Library of Congress にあるスライドショウ

1910年代
                    
1930-40年代

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lundi 9 janvier 2012

ユングの 「赤の書」 'Le Livre Rouge' de Carl Jung



ルクセンブルグから帰るTGVの中で読んでいた雑誌の記事を昨日読み返してみた。先日取り上げたカール・ユングさん(Carl Jung, 1875-1961)の映画 A Dangerous Method のカナダ人監督デヴィッド・クローネンバーグさん (David Cronenberg, 1943-) のインタビューである。

その中で、この映画のもう一つの要素として、台詞としても語られていたが、人種の問題があることがわかる。フロイトはユダヤ人だが、ユングは言ってみればアーリア人。当時のオーストリア・ハンガリー帝国ではユダヤ人が虐げられるということは少なかったようだが、かと言って社会の中心を占めるということもなかった。フロイトがユングを取り込もうとした背景には、自らの精神分析が社会的認知を受ける上で助けになるのではないかという思いもあったとみている。ユダヤ人で無神論者のクローネンバーグさんは、ユングよりはフロイトの立場にシンパシーを感じているようだ。


当日は気付かなかったが、この記事でユングさんの赤い本が囲みで小さく紹介されている。1914年から1930年にかけて書かれた彼の 「内なる大聖堂」 (cathédrale intérieure)である。1961年から厳重に保管されていたが、2年前にアメリカで出版され、フランスでもやっと訳されたところである。日本ではフランスより1年早く出ているが、何せ格段にお高い。この本の内容解説を読むだけで、前回触れたフロイトとの対比が明らかになる。

Amazon.com (The Red Book: Liber Novus, 2009; $112.21)
Amazon.co.jp (The Red Book, 2009; 15,693円)
Amazon.fr (Le Livre Rouge, 2011; Euro188,10)
創元社のサイト (「赤の書」、2010; 42,000円)










これも前回触れたが、精神分析を科学的な観察と治療に止めようとするフロイトの立場も、科学を超えて神秘主義にも興味を持ちながら、患者の生を十全に発揮させようとするユングの立場もよく理解できる。しかし、自らの性向を振り返ると、ユンギアンの要素を否定できそうにない。より正確には、理性(科学的な思考)を徹底した上で、神秘の世界にも目を閉じないでいたいと思っているのではないだろうか。それが存在すると感じた時には科学で説明できないからと言って捨て去るのではなく、その先に行ってみたいと思っているようだ。そこにこの世界の豊かさが隠れているようにも見える。このような世界の観方は、科学主義に染まってしまうとなかなか採れないはずのものである。

昨年はユングが亡くなって50年目の年であった。



dimanche 8 janvier 2012

「パリから見えるこの世界」、それは原点だったのか



縁あって、今年から「医学のあゆみ」という医歯薬出版の医学総合雑誌に月1回の予定でエッセイを書くことになった。まず、このような機会を与えていただいた編集者の岩永氏に感謝したい。第1回目は「科学から哲学、あるいは人類の遺産に分け入る旅」と題して、哲学に入るまでの心象風景を綴った原稿を送ったところである。どこかで目に触れた折にはご感想、ご批判をいただければ幸いです。

昨年12月、岩永氏からこのシリーズのタイトルを依頼された後、島ご夫妻の案内で東北の被災地を訪問した。その時、不思議なことにどこからともなくこんな言葉が降りてきたのだ。

「パリから見えるこの世界」

その後いろいろ考えたがどれも作りものに見えて満足できず、これをそのままタイトルとして使うことで岩永氏の同意を得た。フランス語訳は、Un regard de Paris sur ce monde とした。


ところで、このところ折に触れて前ブログ「パリから観る」を読み直しているが、今回一つの発見をした。それは、こちらに来る前年の2006年のこと。これからの道を探る過程で、パスツール研究所のマルク・ダエロン博士とメールのやり取りをしていた。その中にこんな希望を書いていたのだ。
「パリをベースに、世界を観察しながら、歴史、哲学、科学についての自らの考えを深めることができれば素晴らしいのだが、、、」

この観察者の目の位置と今回のエッセイの著者のそれとがあまりにも近いことに驚く。被災地の景色を眺め、そこの空気を吸い、その土の上を歩く。それらのすべてが自らの原点に無意識のうちに触れさせてくれたのではないか。そう思いたくなるような発見であった。



samedi 7 janvier 2012

やはりまだ空を飛びたいのか



午後から纏めるような心持になるようなことをやってみようと外に出る。ところが、メトロで読んでいるものに出てくるところを調べたくなり、行き先をリブレリーに変更。中を歩いていると次から次に興味を惹くものが出てきて収拾がつかなくなる。広い範囲で5-6冊手に入れていた。少しだけ抑えが効いたのか。

どうも、いつまでも空を飛んでいたいようだ。湧いてくるものを抑えることなど所詮できないのかもしれない。所謂仕事をするということは、それを抑えることを意味している。あるいは、そうしなければ仕事はできない。振り返ると、仕事をしている時は無意識のうちにそうしていた。

本来の仕事から抜け出たにもかかわらず仕事らしきことをやらなければならない場合、この悩みを抱え込むことになる。こちらに来た当初の記事を読み返すと、当時からこの問題があったことがわかる。これから長い間付き合わなければならない悩みになりそうだ。この悩みを友と言い換えることができれば、世界は変わって見えてくる。



こちらで最初の年が明けた4年前の正月にはこんな音楽を聴いていた。
流し始めてしばらくすると、当時の風景が浮かんできた。


















vendredi 6 janvier 2012

偶然に目を凝らし、上を向いて歩き始める



カフェでの出来事

インクが出てこない万年筆を水に浸けた途端、こんな姿が現れた。

しかも新年を迎えたこの時期に。

偶然のなせる技に思わず驚く。

目を凝らさなければそれは見えてこない。




バルコンでの瞑想から

今年はこれまでの瞑想生活に動的要素を入れて行ってもよいのではないか。

これまでは後と下に向かっていた精神のベクトルを前と上に変えていく。

少しずつ浮かび上がって歩き始めるのである。

歩きながらこれまでに溜まった断片を取り出し、それについて思いを巡らせる。

考えを深めるのだ。

日本で忙しく動いていた時にはその断片がなかなか得られなかった。

つまり、考える対象がなかったのだ。

それが今は少し違うように感じる。


新しいやり方でしばらく歩いてみようか。

目を凝らすことだけは忘れずに。



jeudi 5 janvier 2012

第2回 「科学から人間を考える」 試みのお知らせ (1)



新年早々だが、昨年始めた 「科学から人間を考える」 試みの第2回の日程を決めた。

今回は最初から2回の予定で行うことにした。

テーマについては今月中に決めて再度お知らせする予定である。


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第2回 「科学から人間を考える」 試み

The Second Gathering SHE (Science & Human Existence)


日時: 2012年4月17日(火)、18日(水)、18:20-20:00 (いずれも同じ内容です)

場所: 恵比寿 カルフール Carrefour (前回と同じ)

定員: いずれも約15名

テーマ:
今月末までに発表します。


会終了後に懇親会を開く予定です。

詳細はこちらをご覧ください。


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mercredi 4 janvier 2012

長生きは目標ではないが、、、






フランス語版のパソコンでは、まず Yahoo! France が飛び出す。

今日はもうすぐ106歳になる方が未だにストック・マーケットの仕事をしているというニュースが出ている。

新年早々元気が出そうなので読んでみる。

長寿遺伝子を研究しているアルバート・アインシュタイン医学校の研究紹介のようだ。

この研究に参加している代表的な方の映像がある。

確かにお元気で、こちらの年も忘れるくらいだ。


肖りたいものだが、瞑想だけでは少々問題あり、だろうか。


















mardi 3 janvier 2012

哲学者ジュリアン・アサンジ、あるいは 「情報とは」 再び




昨日、ルクセンブルグからパリに戻る車内で読んでいた雑誌にウィキリークスジュリアン・アサンジさんJulian Assange, 1971-)とプリンストン大学の倫理学者ピーター・シンガーさんPeter Singer, 1946-)という二人のオーストラリア人の対論が出ていた。ウィキリークスとジュリアン・アサンジという名前は知っていたが、どのような人物なのかまでは知らなかった。わたしに頻繁に起こっている状態である。ざーっと目を通して印象に残ったところを少しだけ書き出してみたい。

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シンガーさんがこう口火を切っている。哲学者として、この世界をよりよいものにしようとする試みには興味を持っている。情報の透明性と最大限の拡散を目指すウィキリークスもその中に入るだろう。この試みがよりよい政府を生み出し得ること。その一方で、通報者の生命を危険にさらしたり、現在進行中の政治・外交の障害になる可能性がある。このことは、国家に対する国民の信頼を危いものにすると同時に、情報の安全をさらに強固なものにするための出費へと導くだろう。

これに対して、アサンジさんはそこに入る前の大前提から考え始める。その問は、一体どういう世界にあなたは住みたいのか。今よりもよい世界とはどのようなものなのか、である。彼はまずこの世界がどのように動いているのかを理解しようとした。そのために、最大限の情報を集めようとする。この情報に対する渇きが若き日にハッカーになった理由だと言っている。そこから彼は二つの結論を導き出す。ひとつは、資金のない状態で、重要で将来インパクトのあることをしようとすると、情報の流れに乗って行動しなければならないこと。もう一つは、行動に至る決断は自分が持っている情報に依存していることであった。

情報がどのように世界を形作っているのか。その解に至るためには、自らの周りを観察し、その結果をまとめて概念化し、そしてその概念に基づいて行動すること。これが難しいのは、現在の世界を構成する要素が以前のように直線で結び付くような関係にはなく、複雑で予測不能な相互作用によって成り立っているからだ。情報に基づいて行動すること、それは取りも直さず世界に対して働きかけることである。それによって、世界のバランスが変わり、新しい世界が現れる。政治・経済のエリートに対抗して民主主義を機能させるためには選挙だけでは不十分で、情報の流れを見ることが不可欠になる。ウィキリークスの目的は、行動の基になるこの世界についての情報を最大限に用意すること、それだけである。

« Pour changer le monde, il faut circuler l'information. »

「世界を変えるためには情報を広めなければならない」

アサンジさんはこんな指摘もしている。インターネットはほとんど資金なしに表現できる開かれた場で、誰でも雑誌の編集者になれる。それはよい点である。しかし同時に忘れてはならないのは、これまでにないほど高度な監視の目が光っているということだ。監視装置とデータを集める企業が秘かにこの場を浸食しているのである。





道徳について、アサンジさんはこんな考えを語っている。

われわれの中にある道徳的な本能とでも言うべきものは、われわれの祖先が小さな集落でお互いに見張り合いながら暮らしていた時の記憶から生れている。見られていることを意識すると、人はより正直に、より道徳的になるだろう。インターネットでも確かに見られている。シンガーさんが指摘されるように、その環境では例外はあるものの、より道徳的な世界ができ上がる可能性はあるかもしれない。しかし上で述べたように、この場は透明性と同時に監視の場でもあるということだ。これはこの文明にとって致命的な結果を齎すかもしれない。われわれの行動を分析し、操作しようとしている権力が背後にあるからである。

小さな町で育った経験から、全員が知り合いであるという環境はしばしば抑圧的なものであると考えている。その社会の規範に矛盾しなければ全く問題ない。しかし、異なる規範に従う場合、その社会のコンセンサスに反旗を翻す場合、居心地の悪い難しい状態に陥るだろう。全員が受け入れる道徳的規範を危険だと思う理由がそこにある。

道徳はわたしがいつも考えていることではない。人に向かって、あなたはこうすべき、などと自分の世界観に合う行動を押し付けることなどできない。それぞれが自らの信念に基づいて最後まで行くしかない。その結果を充分に考え、責任を取るという前提で。





大西洋を跨ぐ対論は、現在保釈中の身であるアサンジさんが身を寄せるイギリスはノーフォークの小さな町ディス(Diss)にあるこの館でSkypeにより行われた。素晴らしい環境にある。ここを訪れたフランス人記者がアサンジさんを見て驚いたことは、大変な嵐の中にいることを露ほども感じない穏やかさと落ち着き、そして、この男は考えている、としか言いようのない姿であったという。



lundi 2 janvier 2012

"Pour revenir, il faut partir"、しかしどこに戻るためにどこに発つのか



今朝は遅い朝食を取ってからホテルを後にした。
朝食時、ご主人がル・モンドをテーブルまで持ってきてくれる。
それからこんな会話が続いた。


「今日お発ちですか?」

「はい」

「どうしてですか?」

「・・・ それは面白い質問ですね」

「ああ、そうですね。"Pour revenir, il faut partir." と言いますからね。またお越しください」


すぐにご主人の言葉を拾い、反芻していた。
繰り返すほどに奥深い言葉のように感じられる。
いろいろな状況でその意味合いが微妙に変わってくるので、興味が尽きない。
例えば、その時わたしはどこにいて、どこに向かい、何のためにそこに戻るのか。
考え始めるときりがない。

現実に戻り、チェックアウト。
驚いたのは、ネットの値段から更に20%も割引してくれていたことだ。
こんなことは初めてである。
学生にはありがたい計らいで、さらに印象がよくなる。
人生の深みを味わいつくした眼差しのある熱いご主人。
最後はイタリア式挨拶で別れた。


出発まで時間があったので駅のキオスクで時間を過ごす。
今回はフランス語だけではなく、イタリア語とドイツ語の雑誌にも目が行っていた。
環境が変わるとすぐに影響を受けるタイプのようだ。




Gare de Metz-Ville


乗り継ぎのメスでは少しだけ時間があったので、駅の外に出て見ることにした。
ルクセンブルグに向かう時には浮かんでこなかったアイディアだ。
駅の建物はなかなか趣があり、気に入る。
特に、時計塔がどっしりしていて、よい。







車内では手に入れたばかりの雑誌を読んでいた。
面白いことが至るところに転がっている。
その誘惑を抑えなければ学業に向かうことができないのか。

今年もこの悩みを抱えながらの1年になりそうだ。