昨日は夜の8時半から始まるエヴァ・ヤブロンカさんのセミナーを聴くため大学へ向かう
もう4年半ほど前になる
イスラエルで開かれたラマルクとイギリスのケンブリッジであったダーウィンに関する会でお会いした
そのことを今年最初のエッセイに書いたところだったので、何というタイミングかという思いで案内を受け取った
「後世はラマルクの復讐をしたのか、そして初めてのイスラエル」
医学のあゆみ (2014.1.11) 248: 174-178, 2014
興味をお持ちの方はご一読、ご批判いただければ幸いである
セミナーのタイトルは、「文化の生物学」
最近、
エピジェネティクスというDNAの断片(所謂、遺伝子)に因らない遺伝が話題になっている
お話は、生物学に始まり、同様のことが文化の伝承においても起こっているという流れであった
タイトルにある4次元とは、遺伝子、細胞、行動、文化のレベルを指している
昔から 'nature or nurture' と言われ、われわれの今を決めているのは遺伝子か環境かという問いがある
日本でも 「氏か育ちか」という言葉があるが、これまでの生物学ではすべて氏が決めているとされてきた
しかし、育ちも無視できないという成果が出始めている
一卵性双生児でも時間が経つと、外からわかる変化があることは観察されていた
さらに、両者の差異は細胞内でも観察されることが明らかになってきた
エヴァさんは、このエピジェネティクスを文化のレベルにまで広げようとしている
どんな環境にいるのか、どんな人と出会うのかで脳の構造が変わる
教育における含みも大きく、われわれをオプティミスティックにしてくれる
逆の見方をすれば、劣悪な環境にいる人たちの状況が将来どのような結果を齎すのかにも思いが至る
実際、そのような例が第二次大戦中にナチに占領されたオランダの飢餓状態で見られた
その状態を経験した母親から生まれた子は、後に統合失調症になる頻度が高かったという
母親のいた環境が子供に影響を与えていることを示唆する結果である
これまで精子や卵子は代を超えてDNAを運ぶものだと考えられてきた
しかし、上の結果は生殖細胞にはDNAの他に環境から受けた情報も含まれていなければならないことを示唆している
どのようなメカニズムで起こっているのかは明らかではないが、その昔葬り去られた
パンゲン説を彷彿とさせる
体細胞が受け取った情報がジェミュールという粒子に蓄積され、それが生殖細胞に運ばれる
ラマルクが19世紀初めに提唱した獲得形質の遺伝のメカニズムを説明する説とも言える
歴史の畝りが見えるようだ
ところで、このセミナーは英語で行われた
しかし、スライドは世話人(写真左)が作り直したフランス語版になっていた
エヴァさんの横で自分のパソコンからスライドを進めていた
ディスカッションも会場からの「フランス語で!」という声で、フランス語で行われた
ある意味では、演者そっちのけで議論が進むことになる
このようなことは日本では考えられないだろう
丁重で柔らかな雰囲気の中で進むのだが、そこに文化的な誇りのようなものを見るのは感じ過ぎだろうか
さらに言えば、英語しか受け付けないというもう一方のアロガンスに繋がるようにも見える
ディスカッションが長くなりそうだったので、11時前に失礼した
ところが、外に繋がる扉がすべて閉まっている
しばらく歩き回っているとガードマンと思しき人の影が見えた
近寄って出口を訊くと、これまでどこにいたのかという
厳しい警備だが、この程度は当たり前なのだろう
その問いに答えて、無事外に出ることができた