vendredi 31 mai 2013

モンテーニュさんの終の棲家へ



午前中、近くのカフェで書いた後、午後からこの塔を目指した

ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne, 1533-1592)の塔である

写真があるということはそこに辿り着くことはできたわけだが、小さなドラマがあった



 まず、ボルドーのサン・ジャン駅で

出発5分前になっても案内をしていただく方を見つけることができず

緊急の用事でもできて来られなくなったけれど連絡の方法がないということではないかと思い、一人で乗り込む

しかし、何か方法がないかと思案している時、普段は使わない携帯を持ってきていたことに気付く

連絡すると、駅の入り口にいるとのことで、急いでホームに来るようにお願いする

出発3分前

ホームに出て駅員に少し待ってくれるようにお願いするも、肩を挙げ、両手を広げるだけ

何度頼んでも、同じ動作を繰り返す

その時、全速力で走ってくる姿を確認

乗り込むと同時に発車した

もし携帯のことを思い出さなかったとしたら、と考えると冷や汗が出る

それにしても申し訳ないことをしてしまった

しかし、それだけでは終わらなかった



目的と思われる駅に着いた時の景色がこれである

これでは如何ともしがたい

確認しようと思っているうちに、電車は動き出してしまった



 動き出してから話しかけてくれたのが、この方

ボルドーからわたしの方を見てにこにこしていたので、不思議に思っていた

 話してみると、そこに深い意味はなく、日本語の勉強を自分でやっている高校生

バカロレアで日本語の試験を受けた(る)と言っていた・・・ようだ

フランス語を話そうとせず、日本語で通していたのでその確度についてはわからないのだが、、

困っている日本人に目的の駅は通り過ぎたことを知らせたかったということだろう



 次の駅も駅舎は閉鎖され、バスやタクシーなどの交通手段がない

偶然近くに現れた方に訊いたところ、タクシー会社に電話をかけてくれた

何とも趣のある駅の電話機を使って

生活のテンポが実にゆったりしていて、人に対する時間をたっぷり取ってくれる

 教えられたタクシー会社数か所に案内の方に電話していただき、1時間ほどでタクシーが到着



 地元出身のドライバーが道すがら土地の素晴らしさを説明してくれる

良心的な方で、それまでの紆余曲折を忘れる気持ちよい田舎道のドライブとなった



 モンテーニュの塔に向かう途中、この方が広い敷地内を整えているのが見える

入口を訊いてみると、塔の小さな窓(引っ込み)に鷹の子供が住んでいると言って、口笛を鳴らしてくれる

母親はどこだろうかと言って、また口笛を鳴らす

自然と一体になっている生活を垣間見ることができる瞬間であった



 丁度16時から塔内の案内が始まるとのことで、数名のフランス人と一緒に過ごす

モンテーニュ38歳の時、静寂と自由を求めて公職を退き、この塔に籠もる

亡くなるまでの20年あまりを思索と執筆に使うため、ここを選んだのである

見たいと思っていた最上階の書斎の天井も見ることができた
 


元のお城は焼けてしまったようだが、ここでモンテーニュは生まれ、ここで59年の生涯を閉じている


モンテーニュの座右銘と言われるQue sais-je の文字が見える



受付の建物では、ワインの試飲が可能

記念に Essais の2009年ものを手に入れた

長い一日の短い滞在だったが、これからに繋がる何かが残ったように感じている

いつものように、それが何なのかは今はわからない




こちらに来た当時、Le Point の特集をまとめたものが前ブログに残されている

 
 モンテーニュ (VIII) 年表と関連資料 (2007-09-23)

モンテーニュ (VII) そして死 (2007-09-23)

モンテーニュ (VI) 流れゆく生 La vie comme passage (2007-09-22)

 モンテーニュ (V) 王国を救う Préserver le royaume (2007-09-20)

 モンテーニュ (IV) 愛、悲しみ、そして 「エセー」 L'amour, le deuil, les livres (2007-09-18)

モンテーニュ (III) 頭と足 La tête et les jambes (2007-09-17)

モンテーニュ (II) 天上の言葉 Un ciel de phrases (2007-09-16)

モンテーニュ事始 Montaigne (2007-09-15)

 
今回の訪問とこれまでの5年あまりの間の変化が、これらの記事を書いた当時を客観化できるだろうか

これまでの経験が理解を深めているのかどうか、そのあたりに注目しながら読み直してみたい





jeudi 30 mai 2013

雨のボルドー大学を散策

Michel Eyquem de Montaigne
 (1533-1592)

今日も曇り空である

トラムに乗り、町の中心カンコンス(Quinconces)まで出る

カンコンス広場では4年ぶりにモンテーニュさんとモンテスキューさんのお二人と再会

前回は汚れていたが今回は綺麗になっている

 ソルボンヌ前のものは好好爺といった印象があるが、こちらは怒られそうな威厳がある

わたしの見る目もこの4年間で変わってきたのではないかと感じた

前回と違い、像の全体がしっかりと目に入ってきた

広場を挟んだ向かいにいるモンテスキューさんについても同様であった


ガロンヌ沿いでは、川祭り(Fête le fleuve)が開かれていた

人は出ていたが、ほとんど感じなくなっていることに改めて気付く

そうこうしているうちに、今日も降り出した

暫し濡れながら街中を歩くと、4年前の記憶が蘇る景色がたくさん現れる

カフェで読み、そして書く



 午後からはボルドー大学に留学中の方に構内を案内していただく

第一大学、第三大学、第四大学と広がっているので相当に歩いた気分になる

上の写真は、第一大学の門

科学系の学部になる

建物はそれほど新しいという印象はない



 こちらは第四大学で、モンテスキューの名前が付いている

名前の通り、法学、政治学、社会科学、経済学などをカバーしているようだ


 
こういう教員室を見ると、なぜか懐かしさが込み上げてくる
 


廊下には、レポート提出用の棚だろうか

無造作に置かれていた

日本の大学の様子は知らないが、このようなことは考えられるのだろうか



こちらは、第一大学のビブリオテーク正面になる

構内はもうヴァカンスなのか、学生さんをほとんど見かけず、やや寂しい



ボルドー第三大学はミシェル・ド・モンテーニュさんの名前が付いている

人文系の学問をカバーしている

こちらは講堂が入っている建物とのこと

実は、ここで嬉しい発見をしたが、いずれ書くことがあるかもしれない

静かな構内を雨に濡れながら2時間ほどの散策となった



 帰りに、4年前にも訪れ気に入ったリブレリー・モラ(Mollat)に寄ってから帰ってきた

店内ではGilles Bordes-PagèsさんのLes sumos de Ryôgoku のプロモーションが行われていた

前回感じた強烈な印象は薄れている

その代り、対象との距離感が少なくなり、馴染んできているという感じだろうか



 夜、テレビでは23日に亡くなったジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki, 1934-2013)さんの追悼番組をやっている

最初に彼の歌を聴いた時、かなりの違和感があったことを思い出す

もう7年も前のことになるが、つい最近のことのようだ

ムスタキを聞く ECOUTER MOUSTAKI POUR LA PREMIERE FOIS (2006-03-14)

今では違和感は消え、その味がわかるようになっている

 感覚が確実に変わっているということだろう

ありきたりのことを商売として語るのではなく、人間として考えたことを淡々と語っている

人間と表現との間に膜がないという印象があり、好ましい



旅に出てテレビをつけると、フランスの今に触れることができる

それはどこか、フランスに旅行に来て、この国の様子を観ているという感覚をも呼び起こす




mercredi 29 mai 2013

変わりやすい空の下、ガロンヌ川を眺め、読んでは書き、書いては読む

La Garonne


朝、雨が降った後で曇っている

今朝は以前にたっぷり歩いたせいだろうか、街中を観光しようという気分にはならず

歩いては休み、読んでは書く日にするつもりで出掛ける

途中から、素晴らしい夏空が現れる

ただ、風があり、もう6月になろうかというのに、わたしは冬の服装であった

 しばらくすると、ガロンヌ川が現れた

前回は、旧市街を彷徨った後、広々とした空間が拡がり感激したことを思い出す

今日もゆったりと流れていた 




さらに歩き、この前を通り過ぎようとした時、急に雨が降り出した

ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880-1953)の名前が付いたコンセルヴァトワールで雨宿りの読み

ティボーさんがボルドーのお生まれだとは知らなかった

ここは音楽の他、踊りや演劇もやっているようで、身のこなしや言葉の達者な子供たちがホールを動き回っていた

1時間くらいで雨は止んでくれたので、再び歩き出す

午後もカフェで読んでは書いていたが、この間も晴れから雨の間を数度行ったり来たりしていた

 前回の訪問は2月だったが、これほど天気が目まぐるしく変る町だとは気付かなかった

連日の雨というのは、そういう意味だったのだろうか

素晴らしい晴れが現れる空の変化は嫌いではない




昨日、こちらに40分ほど遅れて着いたと書いた

今日、その遅れは動物との衝突が原因だったとのお詫びのメールが入っていた

日本の新幹線では考えられないことだが、なぜか憎めない

それは、息もできないほどがんじがらめになっていないところなのだろうか

時間に追われていることに変わりはないのだろうが、そこに余裕があるとでもいう、、、



夜、『春の祭典』100年を記念した番組をArteで観る

ストラビンスキーなどの貴重な映像と今のパリが出てくる

贅沢な気分になる番組だ

他の番組にも目をやると、現世のフランスが確かに動いているのがわかる

それを目に入れずにこれまでやってきたが、かなり異常な生活ではなかったのか

アメリカの経験では、話し言葉はテレビから入ってきたように記憶している

その意味では5年もの間を無駄にしたようにも感じる

確かに、言葉を学び、事実を学ぶにはテレビは一つの方法かもしれない

しかし、それは考えることを阻害するように感じたことも事実である

 おそらく、その判断に間違いはなかったように思う




実に気持ちよさそうに、ガロンヌの水を掻いていた






mardi 28 mai 2013

4年ぶりのボルドー


 つい最近のことだと思っていたが、もう4年前になることにいつものように驚く

雨と曇りと晴れの空を見ながら、40分遅れでボルドーに着いた

道中は、流れる景色を眺めたり、モンパルナスのキオスクで手に入れた雑誌を読んだりしながら過ごす

その中に、ソルボンヌの哲学史教授だった方の本が紹介されていた

ニコラ・グリマルディ(Nicholas Grimaldi, 1933-)さん、79歳

初めての方になる

長い間の哲学生活を振り返り、次のようなことを語っているところがあり、繋がりを感じる

「わたしの野心はオリジナルな思想を持つことではない

そうではなく、できるだけ真理に近づこうとすることである」

哲学をする時にオリジナルであろうとするのは誤りだと言っているように聞こえる

哲学者の声を真摯に聞き、その中に真理を求める営みを地道に続けよということなのか

わたしもこの領域でオリジナルであることは可能なのかという疑問を持つようになっていた

その問いに対する最近の考えと重なるところがあり、少し勇気が湧いてくる




 4年前は駅構内と駅前が工事中であった

この景色を見て、そのことを思い出した

いつも感心する彼らの美的センスとそれを形にするデザインの心がこの構内にもあった

公の場にありながら、家の中にいるような感覚になるのである

以前に元老院(セナ)の議員オフィスを訪ねた時もそんな印象を持った

彼らの生活や仕事に持っている余裕のようなものの表れなのだろうか

このような違いがどこから生まれているのか、いつも知りたいと思っている



駅前もすっかりきれいになり、ユニークなデザインの街灯が予想もしなかった場所に並んでいる

 以前の面影はない

歩き始めると、日本語の会話が聞こえてきた

パリを出る前に調べた天気予報は連日の雨になっていた

Croisons les doigts ! というところだろうか



夜、外に出て食事、そして読む

お店のマダムがどちらからですか、と問い掛けてきた

どこの国のアクセントかわからないフランス語を耳にしたからだろう

そこから会話が始まった

日本や中国、韓国のお客さんが多く、今さっきも韓国の団体客が来ていたとのこと

日本語や韓国語の挨拶もアクセントが全然ない

東洋も含め外国の文化に強い興味を持っていると話してくれた


娘さんが通っている学校(リセ?)では英語は必修で、第二外国語がスペイン語かドイツ語

第三外国語として、アラビア語、イタリア語、中国語を学ぶことができるという

残念ながら、日本語は入っていないとのこと

話を聞いているだけで精神が拓かれていくように感じる

ヨーロッパにいることを改めて感じる




dimanche 26 mai 2013

アパルトマンの化粧直しが11月まで !?


この週末、3月の帰国の折に行った対談 「’教養’としての留学」 のゲラを見直していた

お相手は、三重大学の島岡要先生

留学を切り口に、これまでの人生を振り返り、その間に考えたことが語られている

想像以上の長さで驚く

そのためか、内容の濃さや深さは別にして、読み応えがある

最初はこんなことを(まで)話していたのかという思いで読んでいた

今日本にいるとしたならば話さなかっただろうことまで語られている

どこか、第三者の人生を分析するような視線がそこにはある

対談は、6月後半の雑誌 「医学のあゆみ」 に掲載予定とのこと

興味をお持ちの方にはご一読、ご批判をいただければ幸いです



今週からアパルトマン外壁の化粧直し(ravalement)が始まるのでバルコンを片付けるよう、先週連絡が入った

もう景色の一つになってしまったその場所を改めて見て驚いた

こちらに来てから6年目に入っているが、以前の住人が置いて行ったものには手を付けていないことがわかった

何という植物かわからないが、壁や天井に枝がタコの吸盤のようなものを出して張り付いている

そのためなのか、壁には飾りの板が貼り付けられている

それから植物の鉢が二つ

1年目に緑の芽が吹き出し感激したが、もう完全に枯れている

その他、あれやこれやの小物が置かれている

それらを全部片付けなければならない

そう思うと気分は重かったが、毎日少しずつ手を付け、今日何とか目途が立った

がらんとしたバルコンを眺めると、寂しさとあっけなさを感じる

このアパルトマンを去る時にもそんな気分になるのだろうか


それとは別に、工事終了が11月ということで目を疑う

やはり、ここはフランスなのか

これからの季節にバルコンでの時間が取れないということは、精神衛生にもよくない

方策を考えなければならないだろう




vendredi 24 mai 2013

Sciences Po でシンポジウム 「部分と全体」 を聴く

           Dr. Pablo Jensen (ENS-Lyon)    Pr. Antoine Georges (Collège de France)


午後から、「部分と全体」 をテーマにしたコロックに出かける

タイトルは、「全体は部分(の総和)より大きいのか、小さいのか」 

丁度、雨が降り始めた街を歩いて、初めての場所になるパリ政治学院へ

会は朝からやっていたようで、社会学、経済学から物理学、生物学に至る広い領域の専門家が話している


わたしが聴いたのは、物理学と生物学のお話

物理学は写真のコレージュ・ド・フランスのアントワーヌ・ジョルジュさん

生物学はINSERMのピエール・ソニゴ (Pierre Sonigo) さん

Ni Dieu ni gène : Pour une autre théorie de l'hérédité という著作(共著)がある

『神でも遺伝子でもなく: もう一つの遺伝理論のために』

会場中央には、シアンス・ポーの主、ブルーノ・ラトゥール(Bruno Latour)さんが控えていた


 印象を少しだけ

物理学ではマクロにいく方が構造が安定してきて、記載が単純になるという

そのためか、上のレベルから記載が始まる

部分と全体という二項対立はそろそろ止めるべきではないのか、とはジョルジュさん

これからは各段階を丁寧に追っていくことが大事になると考えている

ソニゴさんは、午前中にラトゥールさんが話していたという部分と全体は二つのごまかしとの考えに同意

連続的なモデルに移行してもよいのではないかと考えているので、ジョルジュさんとも重なる


質問では、どこかはわからないが外国人と思われる方が、ソニゴさんに面白い問い掛けをしていた
 
DNAはどこから来たのかというような神学的、形而上学的問題に囚われ過ぎているようだが、、

ソニゴさんの答えは、必ずしもそれに囚われているのではない、それは興味深い問題なのだ、であった

彼の著書を読むと、このような答えが返ってくるのは予想される

わたしはその答えに全く違和感は抱かなかった


ところで、ソニゴさんも昨日のアントニオさんと同様、スライドなしの Chalk (Felt Pen) Talk であった

哲学的プレゼンテーションとの関連はあるのだろうか

思い返せば、マスターでの講義ではパワーポイントは一度もなかった


二つの話を聴き、今日もカルチエ・ラタンを散策してからカフェでお話を反芻する

部分と全体、還元主義とホーリズムという大雑把な分類からもう少し細かく現状を見直す必要があるのではないか

そんな考えが浮かんでいた


jeudi 23 mai 2013

アントニオ・フレイタスさんのお話を聴き、カルチエ・ラタンを散策

Dr. Antonio Freitas (Institut Pasteur)


今日は、久しぶりに大学のセミナーへ

パスツール研究所の免疫学者アントニオ・フレイタスさんのリンパ球の動態に関するお話を聴くために

ポルトガル出身だが、若い時に英語圏が長かったためか、英語でのお話だった

また、スライドなしの方がコミュニケーションを取れるとのことで Chalk Talk になっていた

その場で人間が書いていくので、複雑なことは扱えない

「こと」 のエッセンスだけが問題になる

哲学的な性向のある方なので、このやり方でいい味が出ていたようだ

 この道一筋で研究された内容から一つの大きな結論が出るところまで来ているという印象があった

質問になると、最初は英語でやっていたが、そのうちにフランス語に

どなたかが、これからは哲学も英語でやることになるのか、とこぼしていたのを聞き、思わずニンマリ


 終わってから、カルチエ・ラタンを散策

リブレリーで数冊仕入れて、カフェで少し読み、軽い雨に濡れながら帰ってきた

あの辺りは、懐かしさがすぐそこにあり、なぜか気持ちが落ち着く

同時に、その景色の中にいても何の不思議も感じなくなってきていることに、改めて驚く




mercredi 22 mai 2013

英語世界であるが故に、他の外国語を


朝のラジオで、高等教育における英語の扱いが問題にされていた

リュック・フェリーLuc Ferry, 1951-)さんとクロード・アジェージュClaude Hagège, 1936-)さんが意見を言っている

 今日から大学改革の法案が国民議会で議論されるという

高等教育・研究大臣のフィオラゾ(Geneviève Fioraso, 1954-)さんの提案になる

英語で講義をすることに対する抵抗も強いようで、組合のストやデモが予定されているようだ

反対派の議員は、アングロ・サクソンの支配は理不尽であり、あくまでもフランス語でやるべきだと主張

中国や日本の製品が優勢になったからと言って、中国語や日本語を勉強しますかと反論している

賛成派の議員は、この法案はこれから世界で生きて行くためのもので、文化支配とは何の関係もないとしている

 1994年に、フランス語の優位を確保するため、教育はフランス語に限るとするトゥーボン法(Loi Toubon)が出されている

しかし、この法が守られることはなく、大学によっては英語の講義が行われ、研究の現場でも英語が使われている

その視点から見れば、今回の議論は欺瞞であるとの意見もある

日本でも、外国人がいれば使用言語は英語にするのが普通であった

そのような法律があるのは知らなかったが、多言語の人間の集まりではフランス語で通すことはできないだろう

必要が法律を超える性格を持っているようで、英語が圧倒的な力を持っていることの証左なのだろう

 誇り高きフランスと言えどもその波には逆らえず、法律にしなければならないという状況なのだろうか

現実はすでにそうなっているので、議論はあるだろうが流れは変えられないと予想される

この状況は日本でも同じではないだろうか

それとは別に、あるいはそれゆえに、英語以外の外国語を学ぶことが益々重要になると考えている




mardi 21 mai 2013

ジョン・レノックス vs. リチャード・ドーキンスの対論に見る科学と宗教



オックスフォードのクリスチャンと無神論者の対論を二つ聴く

2007年アメリカのアラバマ大学と2008年オックスフォード大学で行われたもの

数学者ジョン・レノックス(John Lennox)さんとリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins, 1941-)さんが登壇している

いずれも言葉の正確さとどこまでも論理的であろうとするイギリス人の心、討論の醍醐味をたっぷり味わうことができる

おそらく、国の知性を代表するお二人なのだろう

日本ではなかなか経験できない時間となった



オックスフォード大学でのお二人の主張を掻い摘んで言うと、次のようになるだろうか

まず、レノックスさんのお考えから

この素晴らしい世界が何の導きもなしに生まれたとは信じられない

そこには神という創造者がいるに違いない

宗教は善悪、正義、真理、許しなどの価値を提供している

神のない世界を主張する人は、究極の正義をどこに見ているのか

還元主義的なやり方ではこの世界が益々理解できなくなるだろう

ダーウィンの言うことはわからないではないが、生命の起源や意識などは説明できていない

実体である神がそこで特別の仕事をしたはずである

 16-17世紀に近代科学が生まれたが、その原動力はキリスト教の神であった

ケプラーやガリレオは神の創造物を理性的に理解しようとし、数学でそれが可能になると考えたのである

東洋で科学が生まれなかったのは、キリスト教の存在が関係している

キリスト教は決して反科学的ではなく、科学そのものである



これに対して、ドーキンスさんは次のように主張する

この世界は何の目的もないランダムな過程から生まれたものである

自動的で、盲目的で、そこには導きもない

もちろん、今の科学で理解できていないことがあることは認める

しかし、そこに神を持ち出しても何の説明にもならない

むしろ、その神はどうしてできたのかというもう一つの複雑な問題を生むだけである

確かに、この世界には希望も正義もない

だが、それが真実なのだ

キリストが存在したのかどうかは些細な問題である(後で、存在したと認めてもよいと訂正していた)

そんなことは気にせず、人生を楽しみなさいと言いたい(後で、人生を十全に生きなさいと訂正)

この宇宙には価値はない

決定論の世界であり、理性的で理解可能な世界である

理解不能な世界に生きることを想像できますか

ダーウィン以前は、すべて魔法か神の力で片付けられてきた

科学がすべてを説明できていないし、結局説明できないかもしれない

しかし、神に逃げ込まず、諦めないことが重要である



この問題の入門としては、この対論に問題のエッセンスは尽きているようにも見える

対論を聞いた現時点でのわたしの結論は、次のようになるだろうか

科学はあくまでも科学の中で理解できるように歩みを最後まで続けて行く

しかし、科学では如何ともしがたい価値の問題がこの世界にはある

それを宗教に求めるのかどうかは別にして、人間として考えなければならない点である

科学者の枠を超えなければならないと考えている 

確かに、神が科学を進めるモーターになることもあっただろう

しかし、それを科学の中に持ち込むことは避けなければならない

少なくともわれわれが生きている間に科学がすべてを解決するとは考えられない

であれば、科学に任せてしまうのではなく、常に科学を超えた視点を持っておく必要があるのではないか




jeudi 16 mai 2013

ソルボンヌ広場からナブッコが聞こえる



夜の散策にカルチエ・ラタンまで出る

オデオン劇場の方向に歩き始める

途中、サン・ミシェル通りに向かうと、前の記事の写真にあるソルボンヌ広場が若者でびっしり埋め尽くされている

その全体を視界に入れながら、緩やかな坂道をゆっくりと降りて行く

それだけでも興奮したが、皆さんこの曲を歌っているのだ

静かに、時に全身の熱を発散するかように野太い声で
 
ヴェルディの 『ナブッコ』(Nabucco)の 「行け、我が想いよ」(Va Pensiero)である

サン・ミシェル通りに並んだ警官と対峙している

68年の5月はこんな感じだったのだろうか

こういう時に限ってカメラを忘れるのだ







なぜかわからないが、久しぶりに体が浮き上がるような興奮を覚えた

こんなバージョンも見つかった





mardi 14 mai 2013

連載エッセイ 第4回 「フランスの大学で哲学教育を受け、文化に根差すということを考える」



雑誌 「医学のあゆみ」 に連載中の 「パリから見えるこの世界」 の第4回エッセイを紹介いたします。

医学のあゆみ (2012.5.12)241 (6): 486-490, 2012

 
 ご一読、ご批判いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。




dimanche 12 mai 2013

カバニスの墓、あるいはインプロヴィゼーションの一日


先日の散策でのこと

カフェに向かう前に、文房具などを売っているところに本を置いている店に入った

こういうところでも面白いものが目に付くことがあるので、いつも楽しみにしている

その日はマスターの時代を思い出させるこの名前が目に入った

 カバニス (Pierre Jean Georges Cabanis, 1757-1808)

医学史、ならびに医学哲学において重要になる人物である

その本はアカデミシャンで眼科医のイヴ・プリカン(Yves Pouliquen, 1931-) さんの手になるもの

Cabanis, un idéologue : De Mirabeau à Bonaparte


早速、カフェで読み始める

最初のページに Auteuil や Cimetière d'Auteuil(オートイユ墓地)の文字が見える

興味深い人間関係が描かれているその本をぼんやりと読み進む

暫くして今いるところがオートイユであることに気付き、起き上がる

店の方に墓地の場所を訊いてみると、歩いて10分ほどだという

偶然にもその近くに住んでいるとのこと


少し休んでから出掛けてみると、静かな住宅街にあるこじんまりした墓地だった

モンパルナスペール・ラシェーズなどの大きなところでは探すのに一苦労するが、その墓はすぐに見つかった

冒頭の写真である





墓地に向かう時、こんなことが浮かんできた

われわれは見たもの、聴いたもの、読んだものなど、広く言えば触れたものの中に生き、育てられている

 そして、自らが表現することだけではなく、それに触れ直すことによっても生かされ、育てられているのではないか

自らの内にあったものが外に出され、それを外界にあるものとして再び触れることによって

受け身のような行為が実は能動的な営みであったり、能動的に行われた結果を受け身で味わう

こうしてみると、受動と能動の境が急に曖昧になる

何もしていないように見える無為の中でも、この命は何かを積極的に行っている

それはおそらく、よく観察しなければ見えないものだろう

 そう言えば、カバニスさんはこんな言葉を残している

« Vivre, c'est sentir. »

「生きるということは、感じること」

わたしの最初のブログのサブタイトルは « J'observe donc je suis. » であった

「われ観察す 故にわれあり」

当時の内的状況を観察して創り出したこの言葉

その後いろいろなところに見えざる力を及ぼしてきたように見える

カバニスさんの型に入れ直すと、こうなるだろう
 
« Vivre, c'est observer. »

そう考えることができると、如何なる瞬間も蔑にはできなくなる




カバニスさんの墓との出会いは、いつか意味を持ってくるように感じながら墓地を出た

「詩的に生きる」 を実践するインプロヴィゼーションの一日となった





samedi 11 mai 2013

今欠けているもの、それは新しいものの見方の理論か


前回、思想や理論の重要性を再検討している Le NouvelOb の記事について触れた

その記事は、2010年のアヴィニョン演劇祭(Le Festival d'Avignon)でのある女性の訴えから始まっている

 「思想はどこに行ったの?思想を生業にしているあなたはどこにいるの?」

 今、思想や理論的省察を求める声が上がっている

「もの・こと」 を照らす分析、視野を開くヴィジョン、熱狂させる思想家を求めている

しかし、それは手に入らない 

このような状況を考慮に入れ、今生きている世界の思想家を調べることにしたようだ

彼らに共通するのは、理論や概念は考えることを助け、それによって自らを成長させるものであるという信念である


この時代は、思想や理論を敬遠する傾向に溢れている

また、偉大な思想家、思想のスーパーヒーローが生まれにくい時代でもある

ただ、思想がないというよりは、思想や理論が溢れている状態なのかもしれない

それは、専門の中に閉じ込められている可能性がある

超専門化の進む現代においては、専門を超えて大きな問題を考えることは批判の対象にさえなるからだ


ただ、思想への渇望は大きい

例えば、フランスではわたしも読むことのある Philosophie Magazine が成功を収め、新しい出版社もできているという

また、France Culture の中で、哲学番組が最も多くのリスナーを集めているという

閉塞し、単調な生活を余儀なくされているこの世界の縛りを解くために、思想を得ようという欲求が高まっている

何か新しいもの、新たな選択肢を求めているということかもしれない


冒頭のインタビューで、カナダの哲学者チャールズ・テーラーCharles Taylor, 81)さんが語っている

今日における思想家の役割は、現実を捉える時に邪魔になるイデオロギーの壁を破ること

現代においてすべてを知ることは不可能ではあるが、できるだけ大きな枠組みの中で考えること



因みに、この特集で取り上げられている思想家(出身、年齢)は以下の通り

社会

ジュディス・バトラー(Judith P. Butler) アメリカ、57

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak) インド、71

ハルトムート・ロザ(Hartmut Rosa) ドイツ、47

ジョーン・トロント(Joan Tronto) アメリカ、61

 ジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman) イギリス、87

アクセル・ホネット(Axel Honneth) ドイツ、63

民主主義

ジャック・ランシエール(Jacques Ranciere) フランス、73

フィリップ・ペティット(Philip Pettit) アイルランド、67

ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben) イタリア、71

ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas) ドイツ、83

ピエール・ロザンヴァロン(Pierre Rosanvallon) フランス、65

資本主義

マイケル・サンデル(Michael Sandel) アメリカ、60

アマルティア・セン(Amartya Sen) インド、79

イザベル・ステンゲルス(Isabelle Stengers) ベルギー、63

ブルーノ・ラトゥール(Bruno Latour) フランス、65

ジャン・ピエール・デュピュイ(Jean-Pierre Dupuy) フランス、72

 トーニ・ネグリ(Toni Negri) イタリア、80

フィリップ・ヴァン・パレース(Philippe Van Parijs) ベルギー、62

人間

ペーター・スローターダイク(Peter Sloterdijk) ドイツ、65

アラン・バディウ(Alain Badiou) フランス、76

ダナ・ハラウェイ(Donna Haraway) アメリカ、68

ピーター・シンガー(Peter Singer) オーストラリア、68

スタンリー・カヴェル(Stanley Cavell) アメリカ、86

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek) スロヴェニア、64




mercredi 8 mai 2013

思想の重要性、あるいは大陸哲学と分析哲学

昨日の散策時、新しい Le Nouvel Observateur に手が伸びた。その中に、世界を理解するため重要になる現在生きている思想家25人が紹介されていたからである。グローバリゼーションが価値を一元化したためか、フランスでもかつての教養主義や思想を重視する傾向が薄れているという。わたしは世相には疎い生活をしていて、思想の中に生きているのでそのあたりのことが体ではわからないのだが、、。そんな中、何かが欠けているということに気付き始めている人が増えていると いうことなのだろうか。思想や理論の重要性を説いている。帰国の折に見るだけの日本だが、同じような空気を感じることが多くなっている。益々複雑さを増す世界を理解するために、これから真の思想家、真の哲学者が求められる時代に入るのかもしれない。
ところで、こちらに来る前、フランスのものを読み、その思考に違和感を覚えたことについては、これまで何度も触れている。ひょっとすると、そのことからすべてが始まっていると言っても過言ではないのかもしれない。違和感を増強した背後には、アメリカで染み付いたアングロ・サクソン的なものの見方があったこともほぼ間違いないだろう。この違い をどう表現すればよいのだろうか。これまでに書いてきたものの中に、いろいろな表現で出てきているはずである。

一般に、フランスやドイツの哲学を大陸哲学、アングロ・サクソンの哲学を分析哲学というが、それは地理的な差ではなく、それぞれの伝統的なやり方についての名称になっている。ここで、アメリカで大陸哲学をやっているバベット・バビッチ(Babette Babich, 1956-)さんの近著La Fin de la pensée ? Philosophie analytique contre philosophie continentale 2012)を頼りに、両者の違いを簡単に纏めておきたい。バビッチさんはマンハッタンのフォーダム大学で教えているが、ここで何度か取り上げたことがあるコレージュ・ド・フランスのクロディーヌ・ティエルスランClaudine Tiercelin, 1952-)教授と同僚だったこともあるという。

哲学とは考えること、思想、思考に関するという点では両者に差はない。大きく言ってしまうと、分析哲学は明晰さ、論理、答え、解決を求めるのに対して、大陸哲学は答えではなく問いの意味を考える傾向があるという。先日取り上げたネガティブ・ケイパビリティとも関係しそうな 「曖昧さに耐える能力」 が求められるのだろう。大陸哲学が多元論的で、分析哲学を排除することはない寛容さがあるのに対して、分析哲学は大陸哲学を拒否する。両者の間には単なるスタイルや気質の違いだけではなく、対立の可能性が内在している。 

もう少し詳しく見ると、大陸哲学は哲学的問い掛けを問い掛けとして開いた状態にあることを認める。答えを提供することよりは、厳密で批判的な問い掛けを提供することに興味を持っている。問いを出すに値するのはなぜなのかについて省察しようとする。哲学の誕生以来ある問題の全体を再検討することを目指すもので、そこには現実世界を感受し、生きることに関係する哲学を生み出す素地がある。自らの正当性の根拠を科学に求めないため、科学についての省察が可能になる。

対する分析哲学は、対象を分解し、非現実的で間違った問題を排除、否定し、最終的に分析できない問題がないようにする。ある意味では縮小に向かう概念とも言える。そのことにより、「こと」 を前に進める発展・進歩の思想も含まれてくる。この哲学がその正当性を科学に求め、科学とともにあること、科学だけが問題を解決するとする科学主義の傾向 があることを考えると、よく理解できる。永遠の問題など言っているのは、明晰さの欠如であり、科学の欠如、知性の限界であると考えるのである。

分析哲学が優位にある世界でのよい哲学とは、明快に議論されているもので、必然的に理解しやすいものになる。明晰さと平明さは今日の大学においても、公共においても重要になっている。世に出回っているものを見れば、このことがよくわかる。人々が幼稚になる要素をそこに見るのはわたしだけだろうか。対する悪い哲学は、読み辛く、理解しにくいもので単に避けられるだけで はなく、批判の対象にさえなる。

バ ビッチさんによれば、今では大陸哲学の要素が圧縮されるような形で一つの哲学として扱われているという。アメリカの大学で大陸哲学をやることは、社会的に認知されないことをやるような雰囲気があり、大陸哲学者は賤しめられていると見ている。しかし同時に、分析哲学はその資源を使い果たしたのか、大陸哲学の魅力のためなのか、大陸哲学のテーマを取り入れる傾向も見られるという。その扱い方には不満があるようだが、、。このような傾向はフランスでも表れていると見ており、学生の大陸哲学に対する興味は衰えていないという印象を持っているようだ。
翻って自らの立場を考えると、こうなりそうだ。もともとフランスに渡ってきたのは、まさにここで言う大陸哲学の訳のわからなさに惹かれてのことであった。科学の中に長く身を置く中で、何かが欠けていると感じたもの。それこそ科学では解決できない問いを一人の人間として問うことだったような気がしている。そのため、フランスでも科学的哲学に浸食されている現状には残念な気がしている。ただ、わたしが対極にある形而上学に強く惹かれたように、哲学者がこれまでの哲学に飽き足らなくな り、科学にその足掛かりを求めるということも理解ができないわけではない。今のところ、科学から出発して形而上学へと飛び、その上で両者の間を行き来できればよいのだが、という夢のようなことを考えている。



samedi 4 mai 2013

「観念する」 とは


メーデーの休みは静かな一日だった

その日、これからは毎日外に出ることにしてはどうかというアイディアが浮かぶ

「観念する」 という言葉が浮かんできて、ついにその気になってきた

自分にとって意表を突く言葉は、体に働きかける力がある

気分が向いた時というのではなく、とにかく出ることにした

籠もっていても捗らないだけではなく、体が鈍ってしまうからでもある

それ以外にやることがないという状況にあることに気付くことほど、強いものはないかもしれない
 
2日にビブリオテークに向かった時には体が重くて困った

昨日は少し楽になっていた

気持ちは維持できそうだが、問題は体が付いてきてくれるかどうかになりそうだ



ところで、「かんねん」 を漢字変換して 「観念」 が現れた時、おやっと思った

「観念」 を手元の辞書で見ると、こんな定義が並んでいる

真理、仏の本体などについて考えること

哲学で、純粋の思惟・理性によって把握される普遍的な概念的実在 

哲学で、すべての経験を統制し、最高の統一を得るのに必要な純粋理性概念

これらを求めることがなぜ 「諦め」 のニュアンスに繋がるようになったのか、理解できない

そこには日本的な考え方でもあるのだろうか

興味が湧いている



mercredi 1 mai 2013

映画 『シッコ』 を観る


曇りと雨の寒い La Fête du Travail だった

Youtube を彷徨っている時、右側に出るリストに映画 『シッコ』 を見つける

いつも関係ないものが二つ三つと紛れ込んでいる

2007年のマイケル・ムーア監督の Sicko

予告編を観たような気もするが、本編はまだだったのでこの際観ておくことにした

暇ではないはずなのだが、、、


 アメリカの医療制度の惨状を描いている

2007年当時、国民皆保険制度なき状態での医療と保険に纏わる問題を具体的に指摘している

これは知らなかったが、カナダではその問題はないらしい

アメリカとカナダは別の国なのだ

アメリカが社会主義的な政策に強いアレルギーを持っていることが伝わってくる

ジョージ・W・ブッシュが、社会主義を見たけりゃカナダに行け!などと叫んでいた

国民の全員が同じように保険の恩恵を受けるなど、個人の自由を奪う社会主義と見做すのだろうか

保険会社の金儲け主義とそのロビー活動も明らかにされていた


イギリスも医療に金はかからないようだ

元国会議員が興味深いことを言っている

民主主義は偉大な革命であった

人間は意欲も希望もなくなれば投票などに行かなくなる

人民をコントロールするには二つの方法がある

一つは恐怖を与えることであり、もう一つがやる気をなくさせること

もし貧乏人(意欲をなくした人)が投票に行くようになると、革命的な変化が起こるはず

健康で、民度が高く、自信を持った国民ほどコントロールしにくいものはない

はっきりものを言う人たちである


フランスも豊かな生活をしている人たちの国として描かれていた

医療制度や育児制度、わたしもその恩恵に与っている教育制度、さらにヴァカンスの制度など

ゆったりと生活している様子が伝わってきた

また、デモなどを示しながら、国民が政府を怖がるアメリカとは逆の構図でフランスを捉えていた

マイケル・ムーアが次のように語っているところでは、思わずニンマリ

アメリカがフランスのことを悪く伝えるのは、国民が彼らの生活を羨まないようにするためではないのか

これまでアンチ・フレンチ・キャンペーンのようなものを聞かされてきたようだ


アメリカの敵と思われるキューバの様子も好意的に描かれていた

ウィキによれば、キューバ側の情報操作の可能性もあったようだが、、

こうして並べてみると、この映画に描かれているアメリカの医療制度には寒々としたものを感じる