samedi 31 mai 2014

別の場所で考え、展覧会で雨宿り、そしてサンナさんの前では


 今日は朝から落ち着けそうなカフェを探して街に出た

 すぐに見つかるだろうと思ったが、甘かった

お祭り気分が溢れていて気分が鎮まるところが見つからず

結局、街中を一時間ほど歩き回ることに

 歩きを止めると汗が噴き出す

やっとのことで、感じの良いところに辿り着いた

そこで3時間ほど


それからさらに歩き、もう一軒探している時に雨が降り出した

丁度、教会跡で展覧会をやっていたので雨宿り

 天井が高く、床が広いのは気持ちが良い

暫しの間、作品を味わう







 




展覧会を出ると小降りになっていたので、2軒目を探して少し歩く

適当なところが見つかり、2時間ほどやってから帰ってきた

 サンナさんの姿が見える通りに出ると、三度目になる今日は音楽が付いていた











ダイナミックな一日を振り返る


昨日はまだ続きがあった

ボルドーに戻り、砂を落としてから街に出た

丁度この通りに入った時、サンティアゴ・デ・コンポステーラに繋がる巡礼路を示す印が目に入った

 ホタテガイ(Coquille Saint-Jacques)のマークである



この写真を撮っている時だった

通りかかった女性が、すぐ前に案内所があるので寄ってみてはいかがですか、と声を掛けてきた


 

中に入るとボランティアで働いている方がお相手をしてくれた

パンフレットなどをいただいた後、奥の方にある巡礼者が体を休める場所に案内される

必要な設備は揃っていて新しい
 
僅か1週間ほど前にアラン・ジュペ(Alain Marie Juppé、1945-) 市長臨席のもとにオープンしたばかりだという

 

 左のお二人がボランティアの方で、後から来られた右の方が事務局の責任者とのこと

 案内をしてくれた左の男性の市長評は高かった

それまでのくすんだボルドーを明るく動きのある町に変容させてくれたという




日本を出る前にサン・ジャック・ド・コンポステルへの道を特集した番組を観ていたことを思い出す

2007年のことである

一度様子を見るのも面白いのではないか、そんな考えが一瞬浮かぶ


今調べたところ、最近は当てにならない記憶に間違いはなかった

世界ふれあい街歩き 「巡礼の道」 (2007-08-06)

まさしく、こちらに渡った月の初めだった




メゾン・デュ・ぺルランを出て暫く散策

一日お付き合いいただいた方とサン・ピエール教会前の広場にあるレストランでディネ



 

そして日没近くになり、この日二度目の周りが見えなくなる経験をする

狭い道の両側の建物に落日の太陽が嵌まり込み、辺り一面が暗くなった

その時、太陽の光がわたしを照らし包み込んだのである

今度は真っ白に光り輝く世界が目の前に広がった

数分は続いたと思う

それにしても何が起こるかわからない


 
ディネの後、人で溢れる金曜の夜の街を歩く

そう言えば、ピラの砂丘にもたくさんの人が来ていた

木曜日がキリストの昇天を祝う祝日(Ascension)だったので、飛び石連休になっていたようだ


 Sanna de Jaume Plensa


ダイナミックな一日を振り返りながら、連日のサンナさんに挨拶して帰路に着いた






vendredi 30 mai 2014

アルカションでの対面の後、ピラでハプニング


天気予報を裏切る好天の下、アルカション(Arcachon)へ向かう

ボルドーからは1時間弱で着いた

まず海洋博物館へ

いろいろな表情との対面を愉しむ




 
























予想外の収穫があった博物館を出て、デジュネ

その後、ヨーロッパで最も高い砂丘といわれるピラの大砂丘La Grande Dune de Pilat)へ急ぐ

何とかアルカション駅前発のバスに間に合い、20分ほど揺られてピラへ

他人のことは言えないが、荒っぽい運転であった



 ピラ到着早々、砂丘の階段を登り始める

日ごろの運動不足のせいか、はたまたデジュネのワインのせいか、続けて登ることができない

休みながらの登りになった






途中、元気よく砂丘を走り下りる若者がいる

若さの素晴らしさだろう




 やっとのことで頂上までたどり着いて暫くすると、異変が起こった

周りの景色が銀色に明るく輝いて、ものの輪郭が見えなくなった

砂の上に置いたはずのペットボトルも銀色の中に溶けてしまい、どこにあるのかわからないのだ

このままいけば失神ではないかと思ったが、次第に銀色が退き、輪郭が見えるようになった

本当に何が起こるかわからない

1時間ほど砂の上で砂混じりの風を浴びながらゆっくりする



落ち着いたところで、砂丘を下ってきた

砂まみれになるが、階段よりは早く、楽でもあった







jeudi 29 mai 2014

ボルドー散策


ボルドー中心部を散策

 去年は修復中だったように記憶しているジロンドの記念碑の彫刻も見られるようになっていた

カンコンス広場にいるモンテーニュさんとモンテスキューさんとも再会



 

 


 Sanna de Jaume Plensa
@ Place de la Comédie


ジョーム・プレンザさんがここにも作品を出していた

実は3年ほど前。ニースのマセナ広場(Place Masséna)で彼の作品を見ていたことを思い出す



地元の方とディネ

気が付くと3時間ほどがあっという間に経過していた







一年振りのボルドー


一年振りのボルドーである

別の場所で考えるために

 天気予報は芳しくなかったが、パリは晴れでボルドーも青空が見えている

 途中、前の方に故障車がいるとのことで20分の遅れがあったが、ボルドーにはほぼ定時に到着

TGVでは珍しくない出来事だ


車中、これまでのメモを読みながら来た

ほとんどが念仏のようなものの中に、それができていれば素晴らしいのだが、、、というのもある

瞑想と称する何もしない時間から抜け出て、行動を始める時ではないのか

そうは思うのだが、体が動かない

瞑想の期間が長くなると、それでなくてもやりたくない仕事を益々やりたくなくなるという副作用が出る

バランスが重要であることはすべてに当て嵌まるのだろう

要注意である




mardi 27 mai 2014

北斎さん、再び

 描く晩年の北斎さん (江戸東京博物館)


 先日、歌麿(1753?-1806)と北斎(1760?-1849)を扱った番組を観た

こちらから

 もう8年半も前になる東京で観た北斎さんを思い出す


その時初めて北斎さんの全貌を目にして、活動の長さと幅と深さに圧倒されたのである

人生の相に合わせて名前を変えていることも印象に残った

北斎さんを昔の人とするのではなく、現代に生きる人として見直すと多くの示唆を得る

モンテーニュ(1533-1592)を評してニーチェ(1844-1900)が語ったという言葉を自分でも使ってみたくなる

「このような男が書(描)いたという事実を知ると、本当にこの地上に生きることに益々の悦びを感じる」





dimanche 25 mai 2014

夕暮れに虹を観た


 夕方、空を眺めていた

鳥が家に帰るところなのか、いつものように舞っている

 遠くを飛ぶ何機かの機体が夕日を浴びて赤みを帯びている

なかなかいい眺めだ


そんな景色を眺めている時、金曜の夕方、素晴らしい虹を観たことを思い出した

最初は目の前に垂直に見えただけだった

それが次第に弓なりになり、最後は完全な橋になってくれた

夕日に映える雲をバックに見事な虹だった 

これは何を意味しているのだろうか

今はわからない


 わたしのカメラの限界か、虹は肉眼の方が素晴らしいことに変わりはない





jeudi 22 mai 2014

映画 "D'Une Vie à l'Autre" を観る


"D'Une Vie à l'Autre" という映画を観に出る

直訳すれば、「一つの人生からもうひとつの人生へ」 となる

観終わった後の印象では、原題の "Zwei Leben"("Two Lives") の方がしっくりくるように感じた


第二次大戦中にドイツ兵とノルウェイ人女性との間に生まれたカトリーヌが主人公

生まれてすぐにヒムラーが造ったアーリア人のための孤児院に入れられる

後に母親に会うために脱走を図る

その時にシュタージ(Stasi)との関係ができていた

20歳からノルウェーで生活し、映画が始まる1990年には家庭も持っている

再会を果たしたことになっている母親と夫と子供と孫との生活である

しかし、自分の過去と現在は誰にも話していない

真実を語ることが如何に難しいことか

そして、大きな嘘により家族の信頼関係は完全に崩れてしまう

幾重にも重なっている秘密が一枚一枚剥がされ、悲劇的な最後を迎える


大雑把に、これは戦争の悲劇だ、と括ることもあるだろう
 
そうではあるのだが、その中でも選択の余地が残されていたことが分かる

シュタージのどこまでも冷酷なやり方も見えてくる

最後まで緊張感を失わない映画で、久し振りにリヴ・ウルマンさんを観た 

そして、ノルウェイの景色が美しかった


そう言えば、カトリーヌさんがカヌーで戻ってきた時、"J'ai réfléchi" (わたし考えていたの) と言っていた

外気に触れながら海の上でひとり隔離されている状況

それは考えるためにはうってつけではないか、と思いながらその言葉を受け止めていた