jeudi 28 février 2013

ヴァン・クライバーンさん亡くなる



今、ラジオからがもう一つの訃報が流れた

ヴァン・クライバーンVan Cliburn, 1934-2013)さんが、昨日亡くなられたという

享年78

その昔、このビデオでも演奏されているレコードを何度も聞いたことを思い出す

 チャイコフスキー・コンクールでの優勝

その後、舞台に立つことができなくなったという話を聞いたのはいつ頃だっただろうか

仕事のレベルで見ると、科学者のジム・ワトソン(James Watson, 1928-)さんの人生と重なるようにも見える

大きな仕事をした後、自分の仕事の中に沈潜するよりはその分野のプロモーションのために努めたという意味において

いずれにしても若き日に頂点を見た場合、その後の人生の歩みはなかなか大変そうである









mercredi 27 février 2013

ステファン・エッセルさん亡くなる

Stéphane Hessel, le 22 janvier 2011 à Paris 
© photo : Boris Horvat, AFP


ステファン・エッセルさんが本日亡くなられたとのニュースを見る

享年95
(né le 20 octobre 1917 à Berlin et mort le 27 février 2013)

1917年、ベルリンに生まれ、子供の時にフランスに

1937年にはフランス国籍を取得

1941年には自由フランスに参加、レジスタントになる

逮捕され、強制収容所に送られるも脱出

大戦後は外交官として、世界人権宣言にも関わり、移民の受け入れにも積極的に参加

作家としても活躍された

アンガジュマンという言葉がぴったりする活動をされた一生だったのではないだろうか

このニュースに反応したのは、これまでこの場で何度か触れていたからである

読み直してみると、いずれも力がこもっている


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(2011-10-23)

(2012-02-25)

(2012-03-07)

(2012-03-08)








lundi 25 février 2013

雪の朝、気分も新たに


新しい週が始まった

今朝は白い雪が降っていたが、後に曇り時々雪交じりの雨

気分を入れ替えた初日

実効は伴わなかったものの精神的にはそれらしくなってきた

それにしても気の多い生活をしていたものである


今日は予定していたメールだけではなく、予想外のお便りを何通かいただいた

庵と外と繋がったという感覚になる

研究所の後、カフェでしばらく読む

帰りのエッフェル塔が霞んでいた




dimanche 24 février 2013

それは進化か退化か


先週は連日の遠出と不規則な睡眠が続いたためか週末は風邪気味

昨日・今日と休養日とした

ゆっくり休んでいる時、やっとのことで「それ」以外を切り捨てなければ「こと」は前に進まないことを理解する

今年に入ってから同じようなことを意識してはいたが、より具体的に感じることができるようになってきた

6年目にして、何でも見てやりましょうという心持から抜け出さなければならない時が来たようだ

これまでの状態から少し進化したと言いたいところだが、別の見方をすると退化とも言えそうである

 仕事をしていた時の精神状態に戻ることになるからだ



jeudi 21 février 2013

二つのセミナーで刺激を得る

Dr. Leïla Périé 
(Division of Immunology, The Netherlands Cancer Institute, Amsterdam &
Theoretical Biology and Bioinformatics, Utrecht University, Utrecht)


昨日はビブリオテーク、今日は研究所と今週は交互に通っている

意図したわけではなく、偶然そうなっている

今日はこれからという時に係の方が来て、これから始まるセミナーへのお誘いを受ける

研究所の博物館主宰で、月に一度講演会をやっているという

今日はその日で、テーマは研究所に勤めていた女性職員

他の人にも声を掛けたようで、出口で一緒になる

その中のお一人は、一年下の学生さんだった


おそらく4-5年前に工事を始めたのではないだろうか

研究所に勤めていた人を忘れない気持ち、つまり歴史を大切にしている心が伝わってくる企画であった

女性職員のお話のせいなのか、私生活にも触れていたのは新鮮だった



1時間ほど聴いた後、最初から予定していたセミナーに向かった

演者は上の写真のライラ・ペリエさん

このセミナー・シリーズのオーガナイザーだったが、2年前からアムステルダムとユトレヒトで研究中

紹介では頭脳流出という言葉も聞こえたが、日本の感覚では東京から大阪へという程度なのだろうか

お話のテーマは、血液幹細胞が持つ分化のポテンシャルの解析、分化経路の検討

一つひとつの細胞がどのように分化するのかを追跡する新しい手法を用いている

以下のような問題が議論されていた

分化経路の可能性の問題、誘導しているのは何なのか、遺伝子と環境の関与、 プログラムされるということの意味など


雑談でわたしのテーズの話が出たのでさっぱり捗っていないと伝えると、こんな言葉で励ましてくれた

「そのような状態がいつまでも続くとは考えられません

普通はペースが指数関数的に上昇するはずです」

そう願いたいが、そんなことは想像もできない状態である

それはともかく、久し振りのセミナーでいろいろな刺激を得た一日であった




mercredi 20 février 2013

「ポール・リクールのウィ」 を読む


今週は中庭の剪定で五月蠅い

今回は徹底的にやっていて、ほとんどが幹だけにされている


先日のリブレリーで哲学者を語っている絵本を見つけ、上の2冊を手に入れる

まず、ポール・リクール(Paul Ricoeur, 1913-2005)さんの方を読んでみた

Le Oui de Paul Ricoeur (2012) 

「こと」を簡単に済ませようという書き方ではなく、ゆっくりと進んでいる

小冊子ながら結構読み応えがある

このシリーズ面白そうである


リクールという方は小さい頃から肉親の死が身近にあった

この世に生を受けた時に母親が亡くなり、2歳の時には第一次大戦で父親を失う

そして祖父母に共に育てられていた妹さんを結核で失う

この世では何も正当化できず、不幸を癒すものは何もないことを理解した

以前に写真を見た時、その目に漂うメランコリーには気付いていた

そのことが関係していたのだろうか


本に囲まれ、本の中に生き、読み、読み直す生活をしていたとある

そして、この生を肯定する道を模索していたようだ





mardi 19 février 2013

久し振りの完璧な朝


今朝、久し振りに完璧な空が戻ってきて気分が盛り上がる

この空をしばらく味わってから研究所へ

デジュネの帰り、リブレリーで数冊

研究所入口で久しぶりのお二人に会う

少しずつ立ち上がりつつあるが、最後は体力勝負になりそうである




dimanche 17 février 2013

連載エッセイ第1回 「科学から哲学、あるいは人類の遺産に分け入る旅」


2012年2月から医学雑誌 「医学のあゆみ」 に 「パリから見えるこの世界」 と題した連載エッセイを書いています

キーワードとして、医学、科学、哲学、歴史、フランスなどを考えています

この度出版社の了解をいただき、1年を経過 したものについて原稿をリンクすることにしました

第1回のエッセイは以下になります


これから随時追加していく予定です

よろしくお願いいたします




samedi 16 février 2013

少しずつ青空が


やっとのことで、昨日、今日と青空を拝むことができた

気分が少しだけ晴れつつある

この2週間余り、活動がほぼ完全に休止している

これまでに貯まった疲れのためなのだろうか

興味の赴くままやっていたとは言いながら、哲学を軸としていたことには間違いがない

西欧と哲学から離れるために、日本と歴史というところに向かったのだろうか

現実との接触が義務付けられていないこともそれを容易にした

あるいは、無意識の中に更なるモラトリウムへの願いでもあるのだろうか




mercredi 13 février 2013

日本の歴史に身を任せる


この2週間ほどの間、晴れたのは僅か1日程度で気が滅入る

 週末を挟んで昨日まで、なぜか日本の歴史についての渇きを覚える

本業から逃れるためなのか、ネットで観ることができる動画を手当たり次第に眺めていた

完全な受け身で、その中に身を任せていた

初めての経験になる

それにしても、いろいろな見方があるものである

正反対のものがあるのが当たり前とさえ言えるかもしれない

政治的な背景が先に来ているための乖離と言えそうなものもある

科学では考えられない状態である

 歴史の難しさ、さらに広く見れば文系の学問への抵抗感はこの辺りにあるのだろうか




dimanche 10 février 2013

リンカーンをもう少しだけ




映画「リンカーン」を題材に、以下の3人が語っている

監督のスティーヴン・スピルバーグ(1946-)
原作者ドリス・カーンズ・グッドウィン (Doris Kearns Goodwin, 1943-)
脚本家トニー・クシュナーTony Kushner, 1956-)





ドリス・カーンズ・グッドウィンさんが2人の大統領リンカーンとリンドン・ジョンソンについて語っている

印象的なお話になっている(字幕付き)




vendredi 8 février 2013

"Lincoln" を観る、そして現れた不思議な繋がり


今日は久しぶりの快晴で研究所へ向かう

少しは捗るかと思いきや、午前、午後とも横道に逸れる

すべてが重要ということでやってきたので、その習性の修正には相当の時間がかかりそうだ

無理に修正しようとせず、成行きに任せた方が精神衛生にはよい

何事もやり遂げることができなくなるスタイルのようである


帰りに、始まったばかりのこの映画を観ることにした

Lincoln (ビデオ

ビデオの中にある米国CBSの60 Minuitesで、スピルバーグ監督が内的葛藤を語っていて興味深い

久し振りのレズリー・ストール(Leslie Stahl, 1941-)さん、70歳を超えてまだまだお若い


映画の方は期待を裏切られることはなかった

舞台のお芝居を思わせるやり取りもあり、退屈せずに過ごす

理念を前面に出しているお話なので、その中に入ると気分が高揚してくるところもあった

音楽はアメリカの匂いがプンプンする久しぶりのジョン・ウィリアムズさん

最初にボストンに着いた時の気分を思い出させてくれた


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ほとんど4年前、前ブログでリンカーン(February 12, 1809 – April 15, 1865)のことを取り上げていた

リンカーンとダーウィンの誕生日に(2009-02-12)

このお二人とも、1809年2月12日の生れである

さらに、リンカーンが亡くなった1865年には科学史上重要なことが起こっている

モラビアの修道僧メンデルが雑種植物を用いて遺伝の法則を明らかにした研究を地元の自然史協会で発表している

もう一つは、クロード・ベルナールが医学生物学の実験を哲学した『実験医学序説』を発表したことである

実は今日の午後、ベルナールさんと遊んでいたので、映画を観ながらあれっと思っていた



jeudi 7 février 2013

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化 (6)



エルンスト・カッシーラー(Ernst Cassirer, 1874-1945)という新カント派に属するドイツの哲学者がいる

彼は文化は一つしかなく、二つの異なる文化があることを心配する必要はないと考えていた

人間と現実(実在)との間で維持されている関係がどのように進化したのか

それを省察することにより、それぞれをはっきりとさせるべきだと考えていたのである


そのために、彼は人間進化に3段階あることを提唱した

最初はアニミズム、神話の段階で、現実が自らに影響を与え、すべてがすべてに影響を与える

人間が木になったり、鳥が人間の中に住んだりする

融合の時代である


二番目は言語の段階で、人間と対象との間に距離が生まれてくる

自分自身を対象と混同せずに語ることができるようになる

現実を目の前に置いた状態になったのである

そのため融合の悦びが失われ、そのノスタルジアを処理しなければならなくなる

この状態における文化とはどういうものだろうか

それは、以前の状態に対するノスタルジアを解消すること

文化とは、今に照らしながら過去を作り直すことになったのである


三番目は数学、幾何学等々の科学知の言語を問題にする表象の段階である

表象の問題とは、現実と新たな距離が生まれること、これまで以上の分離を経験することを意味している

前段階の言語の段階では目に見えていたものが、ここに来て目には見えなくなる

論理による言語で対象を捉えなければならなくなったからである


カッシーラーさんはそこからこう考える

文化の名に値する文化とは、伝統的なものを維持するだけのものではない

文化が生きたものになるためには、文化を生き返らせる必要がある

つまり、文化の仕事とは科学で見出されたものを翻訳する仕事なのである

この統合が行われなければ、文化は生きてこない

科学知が新しくなる度に、一般的な文化と科学的文化は関係を作り直す

ヘブライの宗教性の伝統である目には見えない暗号の解読により明らかになる現実の新しい見方

科学知が明らかにする目に見えない法則が現実の中に登録されているのを見るというキリスト教的欲求

 この両者の間に橋を架けることにより、一般的な文化と科学的文化の関係が作り直されるのである


神を信じようが信じまいが、われわれは文化的にキリスト教的である

 われわれは常に存在と不在、内在性と超越性を和解させるように努めるのである


(完)




mardi 5 février 2013

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化 (5)




神が人間に残したものは何だったのか

それはローマから伝わる法であった

もし自然の中に何かを探すとすれば、法則を見つけることが論理的な帰結であった

物理学者は目に見えるものの中に目には見えない神聖なものがあるという考えに憑りつかれるようになる

例えば、ガリレオは物理的な物質の中に神が残したであろう何かがあると考えた

創造の暗号であり、永遠の法則である

それがどの言葉で書かれているのかと言えば、もちろん数学の言語ということになる

石が落ちるのではなく、石を落としているのはその中に潜む神聖なる法則であると考えたのである

内在性と超越性とが一つの概念にまとめられたのである

これにより、見えているものについて瞑想するだけでは不充分になり

そこに隠れているものを発見することが知の基本となった


これ以降、文化には二つの態度が共存することになる

一つは、言葉にいろいろな意味を取り込み、空間に広がる世界を理解する能力を高めていくやり方

もう一つは、言葉の意味を制限し、目には見えない法則を発見しやすくするやり方である

本来的に対立する二つの文化から一つの共通する文化を作ることはできるのだろうか


(続きます)




dimanche 3 février 2013

「空海 至宝と人生 第2集 名筆の誕生」 を観る





週末の朝

2011年に放送されたという 「空海 至宝と人生 第2集 名筆の誕生」 を観る

 このシリーズの第1集は 「仏像革命」、第3集は 「曼荼羅の宇宙

いずれも見応えのあるもので、実に多くのことを教えられた

第2集では漢字というものの本質を改めて考えさせられる内容であった

この番組で二度出てきた空海の言葉

「書の極意は心を万物にそそぎ 心にまかせ万物をかたどること

正しく美しいだけでは立派な書にならず

心を込め四季の景物をかたどり 字の形に万物をかたどる

字とはもともと人の心が万物に感動して作り出されたものなのだ」

性霊集』 より


「万物をかたどる」

ここに字の真髄があることを改めて認識する

宇宙と一体になって生きようとした空海の姿が浮かび上がる

特に、後年の書は飛白体や雑書体を取り入れ、さらに自由にこの世界をかたどっているように見えた

書の世界、さらに言えば日本文化の奥深さが目の前に広がる時間となった



この番組を観ながら、7年前の展覧会で観た空海の書を思い出していた







samedi 2 février 2013

ハインツ・ヴィスマンさんによる文明と文化 (4)



ギリシャ的な宗教性とユダヤ的な宗教性を止揚することからキリスト教が生まれた

神はここに存在するに対して、神はここには存在しない

この世界はずっと存在していたのか、無から創造されたのか

文化の目的は瞑想の中に至福を見出すことなのか、目的を達するなどと言い張ることなく実践を続けることなのか

この二つの対立の調和がキリスト教に課された課題であった

あるいは、神を人間にすることにより、この調和に成功したのがキリスト教だった

その秘密が三位一体 (la Trinité)

神(父)が地上に降りたのがキリスト(子)、それが聖霊の形で神に戻ったものの三位が一つであるとする

これがキリスト教の基本的な考え方である


ここで中世まで貫く新たな問題が現れる

神が地上に降りたとするならば、聖書とは別に解読すべきテキストを残していなかったのか

この問いを最初に明確な形で出したのがアウグスティヌス(354-430)であった

信者としては、神がその善意の痕跡をこの世界に残していないとは考えられない

そのテキストを聖書とは別に解読するのがわれわれの務めだとしたのである

その上で、さらにこう問いかけた

神が残した暗号とも言えるテキストは、別の言語と考えるべきなのか

あるいは、物理的創造の基礎にある暗号の理解は、聖書の解釈から得られる啓示によるのか

 アウグスティヌスは、創造について分析、解釈、理解できるなどと考えるべきではないとした


そこで問題が出てくる

それは、物理的創造の中に投げ込まれたテキストは、一体どんな言語で書かれているのかという疑問である

キリスト教徒は最初、ギリシャ的な態度とユダヤ的態度との間を揺れ動いた

ギリシャ的態度は、テキストの解釈から離れ、砂漠に引き籠もり、神の存在を感じようとする

一方のユダヤ的態度は、現象を解釈できるように研究を深めていく

そして13世紀に至り、この問題に対する公式の見方が出される



(続きます)