tag:blogger.com,1999:blog-2072246337335816101.post5586153026040054483..comments2022-04-10T23:11:51.129+02:00Comments on パリの断章 --- Mémentos à Paris: 哲学者ジュリアン・アサンジ、あるいは 「情報とは」 再びpaul_ailleurshttp://www.blogger.com/profile/02362652805999406158noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-2072246337335816101.post-68672742650190725402012-01-15T14:05:56.518+01:002012-01-15T14:05:56.518+01:00お忙しいところ、お読みいただきありがとうございました。
「独立して考えている発信者が少ない」という...お忙しいところ、お読みいただきありがとうございました。<br /><br />「独立して考えている発信者が少ない」というお話、そのとおりと思います。マンハイムが言うように、思考は集団あるいは空間に規定されますので、独立して思考することは、意外に、難しいのかもしれません。権力や特定の団体に寄りかかるのは、論外ですが、思考することは、どこかに、自己批判も含めて、批判を含んでいないと、なかなか、独立できないのではないか、とも思えます。批判が感情論に転化しない文化風土は、やはり、羨ましく思えます。<br /><br />「サン=シモン、コント」でした。失礼しました。冬月http://blog.goo.ne.jp/delfini2noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2072246337335816101.post-33599452987175919502012-01-15T12:25:27.480+01:002012-01-15T12:25:27.480+01:00興味深いペーパーを紹介いただきありがとうございます。
情報に関しては、生物学でも大きな分野になって...興味深いペーパーを紹介いただきありがとうございます。<br /><br />情報に関しては、生物学でも大きな分野になっており、また分野によってもその意味合いが異なってきますので興味を持っているところです。情報は切り取られたものであり、送り手の恣意が加わるというのはその通りだと思います。また、受け手の側がそこに加わってくるというのもそうだと思います。生物学の領域での情報伝達においても、同じ物質が受け手(細胞)の状態が変わると違うシグナルが生じ、細胞の態度が変わるということがあります。受け手の解釈で情報の意味が変わってくることになります。<br /><br />これは以前から感じていることですが、情報発信者の心理の中に自らが権力を行使しているというポジティブな意識がどこかにあるのではないかということです。特に、その情報が権力や特定の団体などと結びつくことになると本人が考える場合に断片化の恣意性が増すのではないかと疑っています。真の意味で独立して考えている発信者が非常に少なく、どこかに寄りかかっているために迫力が伝わってこないという印象を持っています。<br /><br />「カノッサの屈辱」を読みながら、日本の政治家と天皇の僕としての官僚の対立が想起されました。このような構造のあるところには当然起こり得る対立でありながら、その骨格が必ずしも透けて見えていないところに問題があるようにも見えます。これも情報の恣意性と関連しているのではないかと思いますが、、。<br /><br />最近の実例を交えた生活様式のモデル化も面白く読みました。細かいことですが、最後の実証主義のところにある「サン=シモン」は「オーギュスト」ではないでしょうか。paul_ailleurshttps://www.blogger.com/profile/02362652805999406158noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2072246337335816101.post-67090815703460332022012-01-14T09:25:14.904+01:002012-01-14T09:25:14.904+01:00ぼくも、インターネットに興味を持って、2冊ほど、関連書を翻訳しましたが、アサンジが出てきたときには、...ぼくも、インターネットに興味を持って、2冊ほど、関連書を翻訳しましたが、アサンジが出てきたときには、本当にびっくりしました。そのラディカルさと果敢さにです。ですが、反対勢力に対して、あまりにも、無防備だったように思いますね。アサンジのインタビューを読むと、情報の生産と消費について、かなり、ナイーブな考え方で行動していたような気がしました。情報は、実体としてそこにあるものが流通するのではなく、受け取り手との共作の側面もあります。また、情報は知の問題とも関連し、知はイデオロギーや信の問題とも関連してきます。このあたりの問題に、興味を持って、以前、まとめたペーパーがあります。もし、お時間が許せば、お読みいただければ幸いです。<br /><br />「情報とイデオロギー、あるいは知と信の問題について」<br /><br />http://blog.goo.ne.jp/delfini2/s/%BE%F0%CA%F3%A4%C8%A5%A4%A5%C7%A5%AA%A5%ED%A5%AE%A1%BC冬月http://blog.goo.ne.jp/delfini2noreply@blogger.com